【小説】乳魔に手懐けられた勇者 前編

 石畳の敷かれた幅広の通りに軒を連ねる屋台の合間を赤ら顔の男達が行き交い、辻々で派手な化粧と衣装で身を飾った妖花が、艶然たる笑みを咲かせている。

 人いきれを嫌って酒場の扉を開けば、息をするだけで悪酔いしそうなくらいの酒精が芬々ふんぷんと鼻先にかぶさってくる。いい加減慣れはしたが、気分のいいものではない。客席に目をやると、円卓の一つでは小汚い衣服に身を纏った労働者が酒杯を片手にカードゲームに興じ、また別の卓では凶悪な得物を腰に下げた一団が金銀財宝を前に分け前の談義をしている。冒険者なのか、或いは盗賊か。どちらにしても関わり合いにはなりたくない類の連中である。

 ふと、カウンターに転じた視線が、性質の悪そうな壮年のバーテンダーのそれとぶつかった。もみあげまで繋がった濃いひげを蓄えたその口からお決まりの、ミルクは置いてないぜ(カウボーイは置いてあるのに、だ)、が飛び出す前にロイは回れ右して酒場から退散した。この聞き飽きた嘲弄に対して反応するのも馬鹿らしかった。

 通りに出て少し歩くと、扉の向こうからどっと笑い声が起こった。それだって、いかにもお決まりのパターンだった。

 冒険者が集う酒場は通念においても実際においても情報の宝庫である。この国にあると噂される光の宝玉の最後の一つの手がかりを得られるかもしれない。しかし、自分のような若輩者に対して非友好的な荒くれ達の態度を軟化させるためには、卑屈か、さもなくば少々乱暴な手続きを踏まなければならない場合がほとんどだと、少年は経験として知っていた。だが、今の気分は一暴れするにはくさくさし過ぎている。

「あら珍しい……可愛いボクちゃんね……こんなところに来ちゃダメじゃない。ママはどうしたのかしら?」

「迷子なんじゃないの? ねえ、ボクちゃん……今日は寒いわよ、お姉さん達がベッドで温めてあげましょうか?」

「それは言い考えね。添い寝して、ママみたいにおっぱい吸わせてあやしつけてあげるわよ♪」

 露出度の高いドレスで媚を振りまく女が、そのたわわな胸の果実を見せつけるように寄せて上げて、からかってくる。

 ロイはかっと赤らんだ顔を前に向け、そそくさと歩調を早めた。背中から女達のおかしそうな笑い声が追いかけてきた。

「うう……ああいうのは、苦手だなぁ……」

 長い旅の間に、ならずものや無頼漢を相手にするのは慣れてきたが、女にはなれない少年である。この歓楽街だって、情報集めをすると言い捨てて宿を飛び出してきたから、足を向けただけのこと。本来の目的を果たさない以上、早く宿に戻って、明日に備えるのが勇者としての、また、パーティのリーダーとしての正しい姿だろう。そう感じつつも、ロイは夜なお明るい街の中を漫ろ歩き続けた。

 千鳥足のお大尽をよけながら、ぼんやりと、宿を飛び出してきた時のことを考える。いつものようにパーティの最年長者と最年少者がいがみ合っていた。どうしてレイヴンはいちいちエドに突っかっていくのだろう。そしてエドはどうしてキツイ皮肉で反撃するのだろう。レイヴンはワービーストで人間基準では二十代前半の見た目をしているが、獣人は年の取り方が違い、実際は50を超えた武術の達人。一方のエドはエルフ族の貴族の名門、ペルルリーゼ家の7男で、年は冒険者としては若過ぎるとしばしば評されるロイより3つも下だが、その小さな体からは想像もつかない巨大な魔力を操る天才魔法使い。

 達人と天才、なるほど大袈裟な枕詞だが、二人ともそう評する他ないような、稀有の人材だった。

 しかし、それなのにというべきか、だからというべきか、二人はお互いに自分が出来ることが相手に全くできないことを、常々不満げに口にしていた。つまり、武闘家は魔法使いの体力のなさを、魔法使いは武闘家が呪文の一つとして使えないことをそれぞれ舌鋒鋭く非難するのである。

 肉弾戦担当と後方支援担当という、集団戦闘におけるそれぞれの役割を考えれば、双方の非難は幼稚でかつ的外れだ。持てるスキルを使って、足りない部分をカバーし合うのが、チームというものだろうに。

 そう言う意味のことを、言葉を変えて何度も言い聞かせたが、喧嘩はたびたび繰り返された。それで、フラストレーションがたまっていたのだろう。

 なぜわかってくれないのか。なぜ互いを認めないのか。戦い一つにも、全員の命がかかっている。エドと2つしか違わないのに、勇者というだけでリーダーを任された身にもなってくれ。僕の苦労を少しでも理解してくれ――蓄積した不満が爆発し、怒声と扉への八つ当たりとなって表れた。それは、つい一時間ほど前のことだった。

 声を張り上げて捲し立てるロイを見て、レイヴンも、エドも、ガーベラも、信じられないと言ったように目を丸くした。一しきり感情を露吐した後になって、ロイはしまったと臍を噛んだ。居た堪れなくなって、誤魔化すように宿を出た。そして、情報を求めるという言い訳を頼りに歓楽街にやってきた。

 愚かだと、冷静さを欠いた、リーダーにあるまじき稚拙で浅はかな爆発だったと、自責の念が消えない。苦労しているのは、ロイだけではないのだ。ガーベラ――パーティ唯一の女性で僧侶である彼女だって、仲裁役を買って出てくれた。二人きりになった時、相談に乗ってくれたこともあった。

 感情に手綱をつけて、しっかりと制御しなければならない。それが、大人になるということ、リーダーになるということ、勇者であるということだ。頭ではそう理解出来ても、心の靄はなかなか晴れてくれない。

 掌底たなそこを額に当て、長嘆息する。今の今、くよくよしているのだって、よくないことだ。さっさと宿に戻るべきだが、その気にはなれない。帰って、何を話せばいいのか、どんな言葉で切り出せばいいのか。わからない。いっそ、アルコールの霊験を借りようか。強い方ではないが、少しは勇気を得られるかもしれない。どこか、落ち着いて飲める店でもないものか――そう考え、キョロキョロと視線をあちこちへ向けながら、歩いていると、出し抜けに、顔面がむにゅっとしたクッションのようなものに埋もれた。その温かく柔らかな物体は、適度な反発力を持っていて、沈み込んだ顔はすぐにぽにょんと弾き返される。

「むわっ……!」

「きゃっ……!」

 弾力に押し返されたロイの間抜けな声と同時に、女の人の短い悲鳴が上がる。注意散漫のあまり、路地から出てきた誰かと鉢合わせしてしまったのだ。夜気に冷えた石畳の上に尻餅をついたロイは、反射的に謝ろうとした。

「ご、ごめんなさ――」

 だが、その語尾は驚きによって掠れた。ポカンと口を開けたまま、ロイはしばし固まった。視線は目の前の女性に釘付けになっていた。

 人がコミュニケーションをとる場合、最も意識するのは顔である。造作によって個体を識別し、表情によって感情をやりとりするためだ。だが、ロイが注視しているのは女性の顔ではない。そもそも、顔は見えなかった。路面に尻餅をついた少年の位置からは見えたのは、豊満過ぎる双丘だけだった。

(うわ、おっきいおっぱい……おっぱい、おっきい……)

 それは、今まで見たことも無いくらいに大きい――いや、その肉の果実は大きいとか豊かという範疇を越えた、爆乳としか言い表しようのない規格外のボリュームを備えていた。さらに、彼女が身に纏う臙脂色のロングドレスは、Vの字になった胸元が抉れるように開いた過激なくらいセクシーなものだった。衣服というよりも乳バンドと呼称する方が適切だろう。かろうじて乳輪を隠せてはいるけれど、布地の締め付けによって白い乳肉が緩やかにたわみ、あまりにも扇情的だ。そして、彼女の持ち物は見た目が素晴らしいだけではない。ビックリするほど柔らかさと張りを併せ持ったその最高の感触は、身を以て体験したばかりである。

「……ゴクッ」

 思わずロイは生唾を飲み込んでいた。見ているだけで、胸がドキドキする。男なら誰しも目を奪合われてしまうだろう、魅惑の結晶。それが、今、ゆっくりと落下してくる――
(さ、触ってみたい……)

 衝動に突き動かされるまま、ロイは近づいてくる乳房に右手を伸ばしかけた。

「ねえボク、大丈夫?」

「え……!? あ、あ、その……」

 突然の問いかけに、伸ばしかけた手を慌てて引っ込めた。緩くウェーブのかかったボリュームたっぷりの髪を腰まで伸ばした、どこか母性的な顔立ちの美女が、身を屈めてこちらを覗き込んできていた。思考停止に陥ったロイを気遣って声をかけてくれたのだ。不注意を咎めもせずに。

 ロイは、今自分が何をしようとしていたのか思い出し、顔がカッと熱くなるのを感じた。

「あ、えと……だ、大丈夫……です……」

 五秒ほど間を開けてから、ようやくへどもど答えた。焦りと恥ずかしさでごちゃごちゃになった頭では、それが精いっぱいだった。

「でも、坊やちょっとボーッ……ってなっちゃってたよ……転んだ拍子に、頭打ってたり、してないよね?」

 そう言ってお姉さんは頭を軽く撫でてきた。その僅かな動きにさえ、胸の巨大な果実はたゆんと弾む。初心な少年がますます泡を食ったのは言うまでもない。

「や! ちょ……だから、大丈夫……だから……!」

「うん。それだけ元気があれば、大丈夫そうだね」

 顔を真っ赤にしてジタジタと地面を掻いて後退った少年に、美女はくすりと口元を綻ばせた。

「でも、いつまでもそんなところに座ってたら、可愛いお尻が冷えちゃうわよ。はい」

「あ、ありがとうございます」

 どうにか平静を装い、差し出された右手を掴んで立ち上がった。美女はロンググローブを着けていたが、それは中指にひっかけるタイプのモノで、柔らかな手のひらに直接包まれた手がほのかに温かい。

(肌、スベスベだなぁ……ずっとこうして手を握っててほしい……)

 そんな心の声に応えるかのように、女はもう一方の手を甲の側に添えて、ロイの手を両手でそっと包み込むように握り直してきた。

 ドクン、と胸が高鳴った。包み込まれた手が、ジンジンと歓喜に痺れているようだった。ロイは再び言葉を失って、しばし目の前の優しげな美貌に見惚れた。美女は、そんなロイの様子に気が付かないで、申し訳なさそうに、

「本当にごめんなさいね、急に飛び出したりして……ケガが無くて幸い――あら?」

 いきなり、口元に手を当てて驚愕の声を上げた。

「このブレスレットって……もしかして、坊や……いいえ、あなたは勇者ロイ様では?」

 彼女は少年の手首に輝く腕輪をまじまじと見つめ、そう訊ねてきた。

「はい……そう、です……だけど、どうしてわかったの……?」

「だって、このブレスレットにはウルナ様の紋様が刻まれていますもの……これを身につけることが許されているのは、勇者様だけ……ちがいますか?」

「へえ、良くそんなこと知ってますね」

 ロイは感心したように眉を上げた。確かにその腕輪は、大地の女神ウルナを象徴する生と死の円環が精巧に意匠されているが、銅製のもので、一目見ただけではそんな凄い品だとは思えない造りなのである。それに、そもそもこの快楽の街で働く美女――おそらく、あの最も古くから続く職業に従事しているだろう美女――が女神の腕輪の存在を知っていることは意外も意外だった。

「だって……勇者様のことは噂や本を頼りに色々と調べましたから……」

「え?」

「年甲斐もない、はしたない女だと思われるかもしれませんが……その……わたくし、勇者様の……ふ、ファンなのです……」

 美女は年頃の娘が照れるように、赤らんだ頬を両手で押さえて顔を背けた。

「僕の……ファンって……お姉さんが?」

「ええ……小さな体で勇敢に魔物に立ち向かう……あなたのご活躍はこのディーナールの街にも届いていますよ。いつかお目にかかりたいと、夜毎の夢に見たものです」

「へ、へえ……そうなんだ……こんな遠くの街にまで……えへへ、なんか、照れちゃうな……」

 ロイは頭を掻き掻き、ヘラヘラと脂下がった笑みを零した。綺麗なお姉さん――しかも巨乳でスタイル抜群の――からの熱い憧憬の眼差しは、くさくさした気分を忘れさせてくれるほど心地の良い物だった。この勇者の実にだらしのない反応を、仲間の男二人が見たなら、きっと大いにからかわれたことだろう、もし、紅一点が見たなら、熱い肘鉄を脇腹に見舞われていたかもしれない。

「うふふ……そうだ……勇者様、これからお時間ございますか?」

「え?」

「ここで出会ったのも、何かの巡り合わせ……少なくとも、わたくしはそう感じるのです。ですから、もしこのあとのご予定が無いのなら、どこか落ち着ける場所で、お話したいのですが……」

 と、美女はロイの手をギュッと握って、顔を覗き込んで、おもねるような微笑で。

「ええと……その……」

 突然のお誘いに、ロイはどうしたものか判じかね、モゴモゴと答えた。すると、美女は少し残念そうな顔をして、

「もしかして、何か大事なご用の途中だったとか……?」

「いえ、特に何も……ただ、ブラブラしてただけですから……」

 ロイは少し躊躇ってから嘘を吐いた。宿に戻って仲間と顔を合わすには、もう少し時間が必要だろう。それに、こんな綺麗な人から誘われるなんて滅多にないことだ、勇者だって人間なのだし、たまには息抜きをしても、女神の瞋恚しんいを買うことはないだろう。

「うふ、それならよかった。では、こちらにいらしてください。近くにわたくしの行きつけの店がありますから」

 美女はロイの手を引いて、薄暗い路地の奥へと進んでいった。と、すぐに立ち止まって、

「ああ、申し訳ありません。わたくしとしたことが、舞い上がってしまっていたようで……まだ、名乗っておりませんでしたね。わたくしはフレイアと申します」

 手を握ったまま、軽く頭を下げた。

 フレイアに連れられて入った店は、表通りの安酒場とは打って変わって、小洒落ていて、落ち着いた雰囲気のバーだった。大人の世界、或いは隠れ家的、とでもいうのだろうか、テーブルにまばらに腰かけた客達は行儀よくそれぞれの酒かあるいは話し相手に向き合って、店中に胴間声を響かせるような手合いは一人としていなかった。

二人はカウンターに並んだ足の高い丸椅子に腰かけた。

 フレイアは勇者に興味があるらしく、あれやこれやと質問を浴びせてきた。しかし、それは会話の展開のためのもので、ほとんどの時間はロイが喋り、彼女は興味深そうに聞き入っているという状態だった。

 フレイアはいわゆる聞き上手という人種らしく、質問のしかたが的確で、相槌の呼吸も完璧、しかも話に聞き入っている時の、話者の言葉を頼りに、想像の世界へ意識を飛ばしているような、酒精と話しの両方に酔ったようなとろりとした眼差しが、ランプのほのかな明りの元、素晴らしく魅力的なのである。

 ロイは初対面の相手だというのに、気分よくペラペラと今までの冒険での驚きや感動、仲間への賞賛を口にした。フレイアに喜んでもらおうと一生懸命になっていた。長い旅の中で、こんなにも打ち解けて話せたのは、仲間以外では彼女が初めてだった。その内に話題は、今夜、歓楽街へ出てくるきっかけとなった、トラブル話へと移っていった。

「どうして、レイヴンとエドは喧嘩ばっかりするんだろう……この間なんて、街中で戦いを始めようとしちゃってさ……全く、間に立つ僕らの身にもなって欲しいよ……」

 長広舌に乾いた喉を湿すように、ロイは目の前のグラスを傾けた。その果実酒ベースのピンク色のカクテルは、フレイアの前に置かれたものと同一だった。酒の知識も飲み方もしらない少年は、薦められるまま同じものを頼んだのである。

「あらあら、勇者様も大変なのですね……まだお若いのに、リーダーとしての責務を果たそうとなさって……」

「あ、すいません……なんか、愚痴っぽくなっちゃって……変だな、関係ない人に、こんなこと話すべきじゃないってわかってるのに……」

 気恥ずかしそうに視線を落として、グラスの底を覗いた。このピンクのカクテルは、甘くて飲みやすいが、意外と度数が高そうだ。

「ふふ、構いませんよ。悩みというのは誰かに話すとスッキリしますから……いくらでもお話下さい」

「ありがとうございます、フレイアさん。だけど、僕は勇者だから……力の無い人たちに、頼られる存在だから……そんな風に誰かを頼っちゃ、いけないんです」

「勇者様……そう言う考え方は、立派だと思います、ですが――」

 フレイアは、ロイの手を優しく包み込むように両手で握った。

「全部自分で抱え込もうとしてはダメです……重い物を詰め込みすぎると、袋は破れます。心だって同じです。悩みを溜めこみすぎると、その重さで、いつか心の底に穴が空いてしまいます……」

 じっと顔を覗き込み、フレイアが語りかけてくる。嘘みたいに長いまつ毛に縁どられた、コバルトブルーの瞳が、熱っぽく潤んでいる。ぽってりとした唇は、ローズピンクの口紅で艶めいていて、言葉を紡ぐ度に、その隙間から真珠のように白い歯が垣間見えた。

(フレイアさん……近くで見ると、すごい、美人だな……)

 母性的でいながらも凄艶な美貌にロイはぼんやりと見惚れてしまう。

「袋はすぐに繕えますが、一度穴の開いた心は、そう簡単には回復しません……だから、穴の開く前に、ケアしてあげないとだめなのです……」

「そう、なのかな……?」

「そうなのです。ロイ様だって、勇者である前に、一人の人間でしょう? 自分に厳しくするばかりではいつか参ってしまいます……」

 手を握って、じっと眼を見つめながら、優しげな声音と口調で言い聞かせる。そんなフレイアの言葉が、ロイの耳からするりと入り込み、意識に溶けていく。

「そうなんだ……でも、だからって……どうしたらいいんだろう?」

「簡単なことですよ。心の殻を捨てて、思いっきり誰かに甘えるんです」

「でも、僕が甘えられる相手なんて……」

 ロイの脳裡に、ガーベラの聖女のような面差しが浮かぶ。彼女なら、屈託する自分をその胸に抱いて慰めてくれるかもしれない。だが、それは今以上に彼女に負担を強いるということだ。自分が潰れないために、別の誰かを潰してしまって、良いという道理はない。

「甘える相手がいないなら……わたくしでは如何でしょうか……?」

「えっ……!?」

 ぼんやりと逡巡していたロイは、突然の提案に飛び上るほど驚いた。フレイアはロイの手を握ったまま椅子をずらし、肩を寄せてきた。彼女自身の体臭と香水が混ざったものだろうか、少し甘ったるいような、けれど不快ではない芳しい香りが鼻腔をジンと痺れさせる。

「わたくしは、あなたを癒して差し上げたいのです。勇者様……今夜は、わたくしに甘えていただけませんか?」

 流石のロイにも、その言葉の意味するところは理解出来た。だが、どう返事をしていいのかは分からない。

「でも、えと……その……僕、そんなにお金持ってないんですが……」

「お金なんて頂きませんわ。確かにわたくしは日頃、それでお金を頂いておりますが、今夜は、わたくしがそうしたいのです。疲れてしまった勇者様を、癒してさしあげたいのです……この、自慢のおっぱいで……」

 そう言ってフレイアはキュッと脇を締め、自らのバストを強調した。セックスアピールの塊とも言うべき魅惑的な肉の果実が、ドレスの胸元の布地をパンパンに張りつめさせながら、互いに押し合い、媚を売るように揺れる。あまりに悩殺的な情景に、ロイは息を飲んで言葉を失った。男の本能なのか、視線が雪のように白い胸の谷間に、自然と吸い込まれてしまう。

「勇者様、おっぱいお好きですよね? 隠そうとしたって無駄です。話しをしている間、時々熱い視線を感じましたから」

「あ……その……ごめんなさい……」

 ロイは耳まで真っ赤にした顔を俯けて、モゴモゴと謝った。会話の途中、グラスを傾けたり、頬杖をついたりといった細かな動作をフレイアがする度に、過剰に開けた胸元から覗く豊満な乳肉が誘うように揺れるのだ。それをつい、ロイ少年は盗み見てしまっていた。何度も、何度も。男であれば目を奪われない方がおかしいが、そんなことは不躾の言い訳にならない。

 しかし、フレイアはニッコリと微笑して立ち上がり、

「怒ってるんじゃありません。男の人なら誰でも……わたくしのこの、大きいおっぱいに……見惚れてしまいますもの……勇者様も、わたくしのおっぱいの感触味わってみたいでしょう?」

 訊ねながら、後ろから覆いかぶさるようにして、ロイの体に自慢の胸を押し付けた。背面で柔らかくたわむ円やかな肉の感触は、あまりにも巨大で、量感の夥しく、ロイは全身を隈なくこの美女の妖艶な母性に取込まれてしまった心地して、赤面が一層の熱を帯びる。

「手で触れたり、もんでみたり、ほおずりしたり、してみたいのでしょう? 優しいおっぱいに、甘えたくありませんか?」

「あ、う……その……してみたい、です……」

 おっぱいの魔力に負け、ロイはとうとう欲望を口にしてしまった。

「ふふ……素直なお返事ですね……とっても、可愛いですよ……」

 フレイアは硬直する少年の首に後ろから手を回し、その肉厚な艶唇を耳元に寄せて、熱い息と共にうっとりと甘く、囁きかける。

「それじゃあ、上に行きましょうか……」

「え? 上って……何か、あるんですか?」

「ここの二階と三階のお部屋は簡易な休憩所になっているんです……仲良くなった男の人と女の人が、さっきから二階に上がっていってたの、気が付きませんでした?」

 つまりは、酒場と連れ込みが一体になった、曖昧宿というやつで。


 二階の部屋は意外にも清潔だった。上半分が漆喰で塗られた壁にはこれと言った装飾もなく、家具だって、ベッドの他には階下のバーにあっとものと同一のテーブルと椅子の2脚があるばかりだが、ベッドシーツは綺麗に洗濯され、ピンと皺なく伸びているし、床の上には塵一つ落ちていない。部屋を満たす空気が孕むのは饐すえた臭いでも埃の臭いでもなく、植物性の芳しい薫りで、不快さは一切感じられない。

 酒場の二階にある、セックスの為の部屋なんて、眉を顰めずにはいられない程不潔なのではないかというロイの予想は、いい意味で裏切られた。

「うふふ、綺麗で驚かれました?」

 室内灯に火をともしたフレイアが、室内の様子を珍しそうに見回すロイの心を読んだかのようにそう訊ねた。

「他人が使った後丸わかりな所でするのは、女も嫌なのです……こざっぱりしてて、あまり可愛らしい物が無いのがちょっと残念ですけど……」

「は、はい。そうですね……」

 どぎまぎと肯定したが、フレイアの言葉の半分も理解できていなかった。目の前でにこやかに微笑むグラマラスな美女とこれからすることを意識すると、平常でなど居られるはずは無かった。

「緊張されてますか? 女の人と、こういう所に来るのは、初めてですか?」

 フレイアが、肩に手を回して囁いてくる。ロイは黙って小さく頷いた。二つの問いの両方ともイエスだった。

「うふふ、可愛らしいですわ……勇者様っていうより、初心なボクちゃんって感じで……とってもわたくしの好みですわ……もしかして、キスもまだなのかしら?」

「は、はい……」

「うれしい……それじゃあ、ファーストキス……もらってもいいですか?」

「え……それって……フレイアさん、僕……まだ心の準備が――」

 うっとりと微笑しながら、フレイアはロイの赤面した顔を両手で挟み込み、少し上を向かせた。

 フレイアの方が、頭一つ分以上も背が高いため見下ろされる格好だ。だが、ロイは威圧感を全く覚えなかった。それどころか、その蠱惑的な青い瞳に見つめられていると、不思議な安心感が胸の内に満ちて、相手に全てを委ねたい気持ちにさえなってしまう。

「怖がらなくても大丈夫……わたくしが、全部してあげますから……勇者様はただ力を抜いて、されるがままになさってください……」

 柔和で妖艶なフレイアの美貌が、ゆっくりと近づいてくる――と、次の瞬間、ロイはぷるんとした瑞々しい感触に唇を奪われていた。

「んんっ……ん、あふうぅ……ん……」

 ぽってりと肉厚な唇が、唇とその周りの皮膚を優しく啄んでくる。柔らかく瑞々しい感触。興奮に熱を帯びた鼻息の産毛を撫でる感触。コロンと吐息の混ざった得も言われぬ香り。どれもが素晴らしく、気持ちが良い。

「んっ、んんんっ……!」

 快感に緩んだ唇と歯を割って、妖しく濡れそぼった舌が口内に侵入してきた。ナメクジを思わせるヌメヌメとした感触が舌にねっとりと絡み付いてくる。ざらついた粘膜が、唾液を潤滑油にして擦れ合う度に、頭の中に恍惚の火花が散った。

 さらに、フレイアは舌の根や口蓋をくすぐったり、歯茎を順繰りになぞったり、バリエーションに富んだ卑猥な、しかし優しい舌捌きを披露した。美女の卓越したテクニックの前に、少年はあっというまに夢見心地に浸らされた。

「ん、ふううぅ……んんぅ、んあ、んんん……」

 二人の身長差から、自然と流れ込んでくるドロっとした唾液を、ロイはまるで親からエサをもらうひな鳥のように何のためらいも無く喉を蠕動させて嚥下する。

「わたくしのヨダレ、おいしいですか? ん、んんっ……もっと飲ませてあげますね……」

 妖艶に微笑みながら、フレイアは咀嚼する時のように口をモゴモゴと動かした。唾液を溜めているのか――そう思った瞬間には、水飴のように糸を引く唾液の塊が垂らされていた。

「んふうぅ……ん、んんっ、んっ……」

 喉に絡み付く稠密な粘液を、溺れる程大量に口移しされ、ロイは慌てたように瞠目した。けれど、フレイアは狼狽する暇も与えてはくれず、唾液が溢れんばかりの口内を舌で優しく愛撫してくる。

 口いっぱいに広がる、濃厚な女の香りと粘膜の快美。唾液が撹拌されるヌチャヌチャという音は、脳内に直接響いてくるようだった。そのうちにロイは、拙いながらも舌をくねらせ、フレイアの舌使いに応えていた。

「ふふふっ……気持ちいいですか? あらあら……ココ、ガチガチじゃないですか……」

 フレイアの嫋たおやかな手が、ズボンの上からそっと少年の男を撫でた。ズボンをパンパンに張りつめさせるほどに隆起したそこへの不意打ちに、ロイは肩をビクッと跳ねさせ、勇者とは思えないほど切なげな喘ぎを爪弾いた。

「ひゃ……は、んはああぁ……」

「うっふふ、可愛い声……キスされながらここ触られると、凄いでしょう?」

「あ、ううぅ……き、気持ちいいです……も、もっと……触ってぇ……」

「あらあら、勇者様ったら……それじゃあ、今度は舌を出してみてください……もっと気持ちいいことしてあげますから」

 もっと気持ちいいこと。その魔法のようなワードに、少年は美女の言いなりになって、ピンク色の可憐な舌を可能な限り伸ばした。

「ふふ……イイ子ですね……じゃあ、舌……吸っちゃいますね……ん、ちゅう……」

「ん、んんんんっ……んんんっ……!」

 ローズピンクの艶やかな唇が、舌を捕えてちゅっ、と吸いついてきた。その想像を絶する甘美な吸引感に、ロイは目を白黒させた。ただちょっと舌を吸われただけなのに、脳が芯から痺れ、ゾクゾクとした官能の怖気が背骨の中心を走り抜けた。気持ち良過ぎて、口の中が溶けてしまいそうだ。

「んちゅ、ちゅうぅ……舌吸われるの、たまんないでしょ……んふふ、オチンチン……ピクンピクンって……反応してますよ……」

 片手で顎を押さえつけ、もう片方の手で股間を弄りながらの、濃厚過ぎる口付け。ズボンの上から指先で円を描くように亀頭をくすぐり、そうかと思えば逆手でサオをすりすりと扱き上げる。そんなフレイアの巧みな手技に、ただでさえ興奮に滾った若い雄が、我慢出来るはずは無かった。下半身にだんだんともどかしい熱を帯びてくる。

(あ、ああ……きもち、いい……もう、出しちゃいそう……)

 下腹部と口元から伝わってくる快感に夢中になりながら、ロイは腰から力を抜き、込み上げる射精衝動に身を任せた。が――

「んちゅ……はい、キスはここまで……」

 初めて会った二人がするにしては長すぎる口付けは、頂に登り詰める一歩手前で、無慈悲にも打ち切られた。同時にテントを撫でていた手も、引っ込んでしまう。

「え……!? そ、そんな……フレイアさぁん……」

 あと数秒続けてくれていたら、間違いなくイけたのに――ロイは、今にも泣きだしそうな顔つきで不満を訴えた。その甘ったれた子供みたいな膨れ面を見ても、誰も少年が勇者だとは信じないだろう。フレイアはくすくすと微笑みながら、唾液でベタベタになった少年の唇に人差し指を宛がった。

「そんな可愛い顔しても、ダーメ……気持ち良過ぎて、イっちゃいそうだったんでしょう?」

「うん……だから、その……」

「キスって言うのは、男女の睦言の挨拶なんですよ? 勇者様は、ただの挨拶だけでお漏らししちゃうんですか?」

 からかうような口調で言われ、ロイの中で膨らんだ羞恥心が劣情と拮抗した。

「あ、えと、その……そんなこと、しませんけど……僕は……」

「ですよね。それに、たったこれだけで漏らしちゃったら……この先愉しめませんよ? もっとじっくり、気持ちよくなりたいでしょう?」

「もっと……じっくり……」

 キスだけで骨抜きにされていたロイにとって、そのフレイアの言葉は、快楽を確約されたに等しかった。

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