【小説】乳魔に手懐けられた勇者 後編

 ウルクスクの町を出立した勇者一行は、パーリ大陸の南端、船乗りの間で希望峰(ソロ・ラドゥ)と呼ばれる岬にある光の祠を目指して南進した。

 光の祠に三つ宝玉を捧げし時、魔の島への道差さん――。

 それが、偉大なる予言者アブドゥルの残した最後の言葉だった。

 ブルーオーブ、グリーンオーブ、レッドオーブの三つの宝玉はすでに揃っていた。これで、魔の島=悪鬼さえ狂う島(ブラブ・ヴァルジュ)へ乗り込める。魔王の居城へ攻め入ることができる――。

 パーティの紅一点、僧侶のガーベラは手袋の中がじっとりと汗ばんでいるのに気が付いた。現在、一行は鬱蒼たる叢林の只中を進んでいる。南方特有の高音湿潤な気候によって驚異的な育成を遂げた植物達が、むせ返るほど濃い草いきれを放って、蒸し暑いこと夥しい。だが、この汗はそれだけが理由ではないだろう。手に汗を握るというのは、緊張を表わす言葉だ。

 全ての魔族の頂点に立つ存在、ウルナの子たる9つの種族全ての敵――魔王。どれほど恐ろしく、おぞましい姿をしているのか。そして、どれほどの強さを持っているのか。魔王という名前だけは、世界中の人間が認知していたが、その実態は誰も知らない。運よく(運悪く?)それを知れた者がいたとしても、すでにクチナシだろう。ガーベラの背に、冷たい緊張が走る。

 勝てるのだろうか? 入念な準備をし、今以上に実力をつけるべきではないだろうか? 確かに、冒険者としてはこの4人それぞれの力は最高に近いだろう。だが、最高でも不十分な時だってある。

「大丈夫ですよ」

 ロイが心を読んだように、気楽な調子でそう述べた。先頭を歩いていたこの少年勇者は、いつの間にか最後尾のガーベラに歩調を合わせていた。

「大丈夫。僕らならやれますよ」

 至極落ち着いた口調で、少年は前を歩くワービーストの武闘家と、エルフの少年魔法使いを視線で示した。

「レイヴンとエドとガーベラさんと僕と……4人が揃っていれば、どんな地獄でも越えられます。そうでしょ?」

 まあ、僕はあんまり頼りにならないかもしれませんけど、とロイは冗談めかして鼻頭を掻いた。その笑顔は愛嬌があって可愛らしかった。

「そんなことない。あなたは――特に最近のロイはとても頼りになるもの」

 それは、ガーベラが本心から思っていることだった。近頃のロイの活躍は目覚ましい物があった。どんなに強い魔物を向こうにしても決して怯まず、勇猛果敢に立ち回ってみせるばかりか、周囲の状況や仲間の状態を冷静に捉え、効果的な指示を素早く出してくれるのである。今だってそうだ。わずかな仕草や表情の変化から心中の不安を読み取り、こうして声をかけてくれている。そして実際、不安な気持ちは和らいだ。それは、ガーベラがロイを信頼し、その言葉を丸呑みにできるからだった。

 ガーベラはレイヴンとエドを交互に見た。以前はしょっちゅういがみ合っていた二人も、ロイに諭されてからは大きな喧嘩をしなくなった(尤も、ことあるごとに悪口や皮肉を飛ばし合ってはいた。だが、これはロイに言わせれば彼らなりのコミュニケーションだそうだ)。二人とも以前から内心ではお互いのことを認めてはいたらしい。だが、それがなんとなく気恥ずかしく、戦闘時などを除いては反発を生んでいたようだった。

 レイヴンはウルフ族のワービーストらしく、群れのトップの命令だからと、エルフにしては珍しい実力主義のエドも――エルフの社会は一般的に封建的だ――ロイがそう言うのならと、共々に言い訳をし、渋々というふりをしながら、進んで力を合わせるようになった。

 パーティのチームワークは格段に上昇した。ロイの指示のもとで結束すれば、全員が100%以上の力を発揮できる。

(確かに、この四人なら――この小さな、けれど最高のリーダーに率いられた私達なら、どんな強大な敵が相手でも……)

 ガーベラは、少し前まで年の離れた弟のような存在だった少年を、心の底から頼もしく思った。

 ロイのリーダーとしての資質は前から垣間見えていた。それが開花したのだ。

 どのタイミングで、というのはハッキリと分かっている。間違いなくディーナールに初めて訪れたあの日の夜だろう。そこを境にロイは変わった。一皮むけたと言った所か、少しナヨナヨした所や優柔不断な面が消え、大人っぽい、落ち着いた男になっていた。おそらく誰かにしてもらったのだろう、大人の男に。

 加えて、その日からロイには度々宿を抜け出し、さっぱりとした顔で朝帰りするという習慣が出来た。何をしているのかは訊ねなくとも十分に悟れた。だが、ロイはそれを秘密にしているようだったので、ガーベラはあえて黙認することにした。レイヴンにもエドにも、特に秘密に触れないように言い含めて置いた。昼間立派にリーダーでいてくれるのだから、それくらいの息抜きは必要だ。女色に溺れ腑抜けになっている風ではなかったし、男の心の支えになれる性質のいい女の人に出会えたのだと嬉しく思いさえした。その相手が自分で無かったのは、少し残念だったが。

 一行はさらに蒸し暑い木々の合間を進んだ。祠へと通じる古い道を辿っているのだが、魔物が活発になった近頃では参拝する者も絶え、それがために草木が隆盛を極めたその道は、最早道と呼ぶのを憚られるほどの悪路になっていた。地面は草で覆われ、歩きにくいことこの上なく、植物をナイフや火で排除しなければ進めないようなところもあった。腐敗臭をまき散らす沼地に苔生した丸太を渡しただけという場所もあった。おまけに、蛭の雨が降るわ、得体のしれない鳥や獣の鳴き声があるわ、ムカデとサソリをかけあわせたような巨大な蟲の化物や、人間を丸ごと呑み込めそうな気味の悪いワームの仲間に遭遇するわと、大変な労を強いられた。しかし、これから魔の島へ渡り、魔王の居城へ乗り込もうというのだ。これくらいの苦労はまだまだ前哨戦に過ぎない。

 それでも、3時間以上も悪路を歩き通し、ようやっと木々の密度が薄れ、光の脚が降り、樹梢のざわめきに波の音が混じり始めと、一同ほっと安堵の息を吐いたものだった。

 やがて、完全に視界が開けた。鬱蒼たるジャングルが途切れ、草生い茂る肥沃な野原へ出たのだった。色鮮やかな花々が所々に散見される緑の先はカブス海が青々と、どこまでも広がっている。潮の香り、白波が岩に砕ける音。

「あれが、光りの祠……」

 ガーベラは、手の甲で汗をぬぐい、草原に孤立する古さびた石造りの祠を見た。ウルクルスで聞いた通り、叢林を抜ければ光りの祠は目と鼻の先だった。正確には、目と鼻の先にあるように見えた。というのも、祠のある希望峰ソロ・ラドゥというのは大陸の南端にある崖なのだが、その周囲の平地には今までの鬱蒼たる緑が幻であったかのように、熱帯性の常緑樹が生えていないのである。つまり、今まで幾重にも重なった緑に視界を遮られ距離感を狂わされていたために、視線が通る範囲にあるものなら手を伸ばせば届きそうだと、錯覚してしまうのだった。実際の距離としては、徒歩で五分と言った所だろう。やはり、いままでの道行きに比べれば、目と鼻の先か。

「あそこにオーブを捧げれば、魔王の巣食う悪鬼さえ狂う島ブラブ・ヴァルジュへ乗り込める」

 水平線のはるか向こうに魔の島を観想し、ロイはひとりごちた。幼さの影を残しながらも凛と引き締まった表情には、強い意思が漲っていた。

 一行は、光りの祠へと向かった。いや、正確には向おうとした。だが、先頭を行くロイが、一歩踏み出した瞬間に――。

「申し訳ありませんが、あなた方を魔王様の元へ参らせるわけにはいきません」

 上品で穏やかそうな女の声が聞こえた。全員が、声のした方――空へと視線を向ける。と、上空から一人の女がゆっくりと下りてきた。

 その女は母性的でありながら艶やかな雰囲気を併せ持った、女のガーベラが見惚れてしまいそうな程の絶世の美女だった。だが、明らかに人間ではなかった。紫色の髪の合間から黒い巻き角が覗き、背中には巨大なコウモリの翼を持ち、腰の辺りからは尖端がスペードの形になった尻尾が伸びている。全てが悪魔の象徴である。

 さらに、身に纏うピンクを基調とした衣服と言えば、いや、これは衣服と呼べるものではない。ほとんど下着同然、男の欲望を喚起するための淫らな格好である。女悪魔――いや、淫魔だ。しかも、通常の淫魔ではない。

 淫魔というのは本来、完璧に調和した女性美を持つものだ。なのに、目の前のそいつは、乳房だけが畸形と言って過言でない程に発達している。太腿や二の腕、そして腹周りの肉もむっちりと皮膚を張りつめさせていたし、長身であり、肩幅も広かったが、それでもそのバストは巨大に過ぎて、全体のバランスを大きく損なっていた。まるで、男の欲望のままにデフォルメされた戯画のようだ――。ガーベラの眼にはそんな風に見えた。

「わたくしは魔三将が一人、フレイアと申します……」

 ふわりと着地した淫魔は、柔らかい笑みをその美貌に浮かべ、恭しくお辞儀をした。

「へえ、淫魔ですか……」

「少し違いますわ可愛い魔法使いさん……正確には乳魔でございます……魔王様のご命令により……あなた方を殲滅しに参りました……降伏するのなら今の内ですわよ……坊や……そうすれば……乳魔のママが、このおっぱいで、たっぷりと可愛がってあげまちゅよ~」

 フレイアは嘲りをふんだんに含んだ赤ちゃん言葉で言うと、豊満すぎる実りを手で掬くって、ぷるん、と揺らして見せた。紐状の布で乳首を隠しているだけの、たわわな白い肉はそれだけで零れそうになる。


「へっ、胸だけじゃなくて言葉も大きくでたな。蟲や動物ばっかで飽き飽きしてたところだ、魔島へ乗り込む前の肩慣らしに丁度いい」

 レイヴンが指の関節をパキパキと鳴らし、獰猛な白い歯を見せて笑う。

「脳味噌まで筋肉が詰まった犬さんには分からないみたいなので、優秀なボクが教えてあげますが……あれ、三魔将って言うだけあって、ふざけた格好と態度の割に、相当魔力をもっているみたいですよ」

 エドがうんざりした様子で言った。三魔将を名乗る魔物とは、以前戦ったことがある。ゲールラートと言う四つ腕の巨大なケンタウロスだった。その壮絶な戦いは、ガーベラの記憶に今でも鮮明に残っている。波状攻撃を仕掛けてくる魔獣の大群。四本腕から繰り出される弓と双斧の威力。何もかもが脅威だった。それでも、いくつかの偶然と敵の慢心、そしてある戦士の命を賭した行動により、奇跡的に勝利を収めることが出来た。だが、全員が満身創痍だった。

 あのフレイアと言う乳魔の強さも、具体的には分からないが相当のものだ。きっと、駆け出しの冒険者なら対峙するだけで、その魅力に絡め取られてしまうだろう。

「とんがり耳小僧が偉そうに……強ええのがわかってるから、腕が鳴るんだよ。てめえこそ、ママ恋しさに、あのデカ乳に魅了されんじゃねえぞ」

「淫魔のチャームへの対処方法は一般的な物とオリジナルの物を合わせて7つほど用意してあるのでご心配なく、単純思考のあなたこそ、気を付けるべきだとボクは思いますが」

「けっ、口の減らねえガキだ。可愛くねえな」

「別に、あなたに可愛いと思われなくても結構です」

「二人共、そろそろ敵に集中しなさい。本当にあれは、普通の相手じゃないんだから」

 軽口をたたく二人を諌めはしたが、強大な敵を前にして余裕を見せられるエドとレイヴンが、ガーベラには頼もしく思えていた。以前に三魔将と戦った時よりも全員、確実にレベルアップしている。特に、ロイがリーダーとして成長したことにより、チームワークは格段に向上した。

(相手がどれほど強くても、私達は負けない。そして私は、もう誰も死なせない――)

 ガーベラは手にした杖を握りしめ、勇者の方に視線を転じた。だが――。

「……そんな……さん……どうして……」

 ロイは茫然とした様子で、乳魔を見つめていた。がっくりと落ちた肩がわなわなと震えている。独り言を繰り返していたが、何を言っているのかは分からなかった。

「ロイ?」

 その不自然な様子に、ガーベラが声をかけたのと、同時だった。

「うああああああああっ!」

 それは、ガーベラには、いや、仲間の三人にとって、あまりにも突然の出来事だった。あろうことか勇者は、仲間に何の指示も出さずに、剣を振り上げ、乳魔に向かって狂戦士バーサーカーさながらに突っ込んでいったのあった。


 

 どうして――。

 ロイの頭の中は、その言葉で一杯になっていた。

 信じられなかった。違う。信じたくなかった。

 上空から降りてきた淫魔は、ロイが良く知っている人物と瓜二つだった。

 だが、その人物には、黒い巻角もコウモリの翼も尖端が矢尻型になった尻尾も無い。髪の色も異なっている。あんな派手な紫色ではなかった。けれど、あの豊かなボリュームとふわふわとした質感は同一だ。

 何よりも。

 あの母性的であるのに、ゾッとする色気を感じさせる美貌は――。

 肉群ししむらの豊かなふっくらとした肢体は――
 極端に発達した巨大過ぎる胸の双丘は――。

 こんな豊饒の女神のような美女が、この世に二人といるとは思えない。

 けれど、ロイは他人の空似だと信じたかった。

 あの人であるはずがない。あって欲しくない。もし、そうだとしたら僕は――。

 ――だが。

「わたくしは魔三将が一人フレイアと申します……」

 その言葉を耳にした瞬間、ロイは足元がガラガラと崩れ去るような錯覚にとらわれた。

 目の前の淫魔は、ロイの心の支えになってくれていた、ディーナールの美女、フレイアだった。絶対に信じたくない。だが、微塵も疑う余地は無かった。

 ――娼婦に姿を変えて、近づいてきたのだ。勇者である僕に、偶然を装って。

 だが、一体何のために。目的はなんだ?
 わからなかった。

 命を奪うだけなら、何度でもチャンスはあったはずだった。なぜなら、ロイはあの淫魔の化けた娼婦の胸の中で、幾夜も安らかな寝息を立てていたのだから。

 力を奪おうというのでもないようだった。淫魔族の得意技、エナジードレインを使うチャンスだって、何度もあった。

 フレイアがロイにしたことといえば、ただ安らぎの一時を提供しただけなのである。

 わからない。わからないけれど、邪なことだと考えて間違い無いだろう。なにせ、淫魔の考えることだ。

 何にしても。つまり、僕は。

 僕は、騙されていたんだ――。

 それなのに僕ときたら、全く気が付かないで、あんな、淫魔なんかの胸に身を委ねて。その乳房の谷間に溺れて、甘えて、癒しを感じて、そして、あんなことまで――。

 熱いドロドロとしたものが、少年の中で渦巻き始める。だが、それがどんな感情によるものかは、彼には判別できなかった。怒り。悔悟。悲しみ。色々なものが、グルグルと渦巻いていた。混乱しているのである。予想外のタイミングで突きつけられた驚愕の真実を、少年勇者はまるで呑み込めずにいた。

「そんな……フレイアさん……どうして……」

 周りの声や音は、耳に入っていない。胸の拍動が、妙にハッキリと感じられる。激しい血流が、耳の奥でゴウゴウと音を立てる。

 そして。混乱は、ロイを突発的な行動にかりたてた。

「うわああああああっ!」

 勇者は宝剣フォルテを鞘から抜き、叫び声を上げ、たった一人で真っ直ぐに淫魔に向かって突貫した。

 仲間の三人の驚きの声が、背中から追いかけてくる。それは完全に錯乱した動物の行動だった。キレた、と言い換えても良いかもしれない。理由は定かではない。取り乱し過ぎて、ロイにさえなぜ自分が走り出しているのか説明がつかなかった。けれど、視線の先に居る淫魔、フレイアは敵である。なら、このまま切り捨ててしまえばいい。猪突の勢いに任せ、ロイは渾身の力を込めて剣を振り下ろした。

 だが――。

 英雄の名前を冠した剣は、乳魔を叩き斬れなかった。

「坊や、そんなオイタをしちゃ、だ~め」

 フレイアがそう言った瞬間、ロイの動きはピタリと止まってしまったのである。

「な……!? なんで……?」

 ロイの表情が、驚愕一色に染まる。まるで金縛りにあったみたいに、いきなり体が動かなくなっていた。分からないことだらけだ。

「そんな危ないもの振り回しちゃダメじゃない。おてて切っちゃうわよ?」

 混迷の度合いをますます深めるロイに、フレイアがニッコリと微笑みかける。

「それでママを攻撃するつもりだったの、坊や? ママ悲しいわ……」

「くぅ、誰がママだ。お前なんか……僕を騙して……」

「ママの正体が淫魔で驚いちゃった? ふふふ、手紙に書いたでしょ、再会は特別なものになるって……その時はママの全てを見せてあげるって……」

 ロイの脳裡にフレイアの置手紙の文面が想起される。確かにそんなような事が書いてあった。だが、それは魔王を倒した暁に、再び会いましょうと言う意味だと理解していた。全てを見せるというのも、セックスの比喩的表現だと、それ以外に、解釈のしようが無かった。あの聖母のように優しいフレイアの正体が、汚らわしい淫魔だったなんて――。

 今の今まで、夢にも思わなかった。

「うふふ、ねえ、そんな物騒なもの捨てて、いつもみたいにママのおっぱいに甘えて……ほら、おっぱい……好きでしょ? ボクちゃん……」

 刃が間近にあるというのに、フレイアは焦った様子もなく、腕をW字にして脇を締めた。たわわな乳房が深い魅惑の谷間を形作る。いつもの、自慢のおっぱいを強調する仕草だ。

「う、あ……そんなの、好きじゃない……」

「嘘ばっかり……坊やの視線はこのおっぱいに釘付けじゃない……」

 まるで条件反射のように、ロイの視線はフレイアの魔乳に吸い込まれてしまっていた。量感の夥しいその母性の白い実りを支えているのは、ブラジャーとすら呼べない、エナメル生地の紐のみだ。隠せているのは乳首だけ。本来衣服というのは、肌の露出を抑えるためのモノだというのに。その“乳バンド”は柔肉に食い込んで、その円やかな形をより卑猥に強調しているのである。谷間だけでなく、零れそうな横乳もロイの官能を否応も無く刺激してくる――。

「違う……そんな……」

 慌てて目を逸らす、だが、逸らした先にあるのはフレイアの下半身だ。程よく肉の余った腹部に、肉感的な腰回りにきゅっと食い込むエナメル生地の三角布。腿にぴっちりと張り付くストッキングとストッキングに締め付けられたむちむちの太腿。淫魔の本性を現したからか、フレイアの凝脂を洗うような肌は、いつもよりいっそう艶めかしさを視覚に訴えてくる。あまりにも魅力が溢れる肉体だった。思わず手を伸ばして触って見たくなる。この淫らなカラダに抱かれた時の気持ちよさは、嫌という程知っている――。

「あ、ああ……ダメ、なのに……こんな、敵の淫魔相手に、ダメなのに……」

気が付けば、下半身に大量の血液が流れ込んでいた。男の証が、ズボンの内側で痛いほどに隆起する。姿勢が自然と前屈みになる。これもまた、浅ましい条件反射の一つだった。エサを前に涎を垂らす、手懐けられた犬のような――。

「恥ずかしがらないで……坊や……本当はママのおっぱいで、むぎゅ、して欲しいんでしょ? だったら、ほら、その剣を捨ててしまいなさい」

 耳が濡れてしまいそうなほどの官能的な囁きが、甘く耳朶を震わせてくる。文字通り悪魔の囁きだ、絶対に従ってはいけない。妖しい言葉もろとも叩き斬らないといけない。その、筈なのに――。

 次の瞬間、ロイは振りかぶった剣を下ろし、草地の上に放り出していた。

「く……なんで!? 体が、勝手に……」

 ゾッとしたものが背筋を走る。自分の体が自分の意思を無視して動いたのである。フレイアの言葉に操られるように。

「はいよくできました、坊やはおりこうさんね~……」

 フレイアは満足そうに微笑むと、ロイの頬をそのしなやかな手でするりと撫でた。

「なんで、どうして……?」

「うふふ、勇者様はいくつの夜をわたくしの胸の中で過ごしたか、覚えていらっしゃいますか? 乳魔の魅力がたっぷりと詰まった乳房に溺れ、魔性のミルクをゴクゴクと飲んで……それで異変が起こらないはずはありませんわ……」

「あ、あ、ああ……」

 ロイの顔が引き攣る。甘い癒しの味に夢中になって、気が付かない内に取り返しのつかない過ちを犯してしまっていた。

「つまりね、坊やの体はね、もうママのものなの……」

 フレイアは目と口を弦月の形にしてニヤリと笑った。母性的な顔立ちに浮かんだその笑みは、あまりにも邪悪で、妖艶だった。きっとフレイアはいつもロイをその胸乳で飼い馴らしながら、慈愛に満ちた仮面の下でこんな風に笑っていたのだろう。

「そんな、そんなぁ……くそ、くそぉ……」

 ロイは自らの過ちを悔いた。だが、全てが手遅れだった。

「ロイっ! 何やってんだ! くそっ、あいつ魅了されちまったのか!?」

 レイヴンが大声で吠える。勇者の突然の暴走に虚を突かれ、しばし事の成り行きを見守るだけしか出来なかった仲間達はそれを切欠に我に返った。

「でもあの人が身に着けている防具は女神の加護を受けていて、あらゆる魔を祓う効果を持っているんですよ? そんなはずは……」

「頭でっかちのエルフっ子が! 現にああやって腑抜けにされちまってんだろうが! ガーベラ!」

「ええ、わかってます。いまアンチチャームを……」

「俺は直接あいつからロイを引っぺがす! エド、援護を頼む!」

「言われなくても、もう準備出来てます!」

 勇者の魅了状態を解除するために、三人は機敏に行動を開始した。

 僧侶のガーベラが杖を翳して天に祈りを捧げる。信仰体系に属する魔法は、神に祈りを捧げ、その奇跡の力を局所的に起こすものだ。そのための祈りの時間が必要で、他の系統の魔法よりも発動までに時間を要する。さらに、治癒系の魔法は対象者との距離が遠ければ満足な効果が得られないというネックもあった。だから、レイヴンはフレイアと勇者を引き離すために大きく前に出る。支援役のエドが後から続く格好だ。

「うふふ……」

 フレイアが天に向かって手を差し上げ、パチンと指を鳴らした。と、次の瞬間、周辺の地面に大小数多の魔法陣が描き出された。魔法陣が、怪しい赤い光を放つ。果たして、今まで何もなかった空間から、魔物が次々と出現し三人とフレイアの間に立ちはだかった。

「くっ……召喚魔法かよ、しゃらくせえっ!」

 壁のように目の前に立ちはだかった一つ目巨人の棍棒をかわし、がら空きの膝を蹴り砕きながらレイヴンが悪態を吐く。

「しかもこいつら、見たことも無い魔物です!」

 エドは獣人の武闘家を肉体強化の魔法で援護しつつ、ラミアの上位種と思しき半蛇の妖魔に火、雷、氷の魔法を矢継ぎ早に放つ。

「くっ、これじゃロイを助けられない……」

 ガーベラは詠唱の中断を余儀なくされた。黄金色のバフォメット、馬の半身を持つミノタウロス、右半身だけが異様に発達した非線対称の魔人など、新手の魔物達の種類は様々で、見たことが無いだけでなく、今まで戦ってきた魔物よりもはるかに頑丈かたく、疾はやく、剛つよい。数も多い。二人の援護に回らなければ、ロイを助けるどころの話ではない。

「残念だけど、わたくしは坊や一人で手一杯ですの。あなたたちの相手は……この子達にしてもらいますわ」

 フレイアは口に手を当ててコロコロと上品に笑うと、少年の両肩をそっと掴んだ。

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