「納得解」という考え方。
「納得解」という考え方。
一つの正解があり、それを再現するのが好ましく、人間として優れている。
これが家庭や学校、社会から植え込まれた正解主義だ。
大学に行く、正社員として働く、車を買う、結婚する、
もうそんな時代では無いということはわかっていてもそうしなければいけないのではないか、親の思う通りに動かなければいけないのではないかと思ってしまう。
洗脳装置が脳の中枢に埋め込まれてシグナルのようなものが発せられているかのよう。
「大学に行かないと食いっぱぐれる」
「介護の仕事をやれば安心」
というような言葉は、そうしないと恐ろしいことになると不安を煽り生命の安全が脅かされるからである。
怒鳴り散らすような合わない人や一切興味のない仕事を続け自分にストレスを与え続けるというのもまた精神的に安全が脅かされる。
これは困った。
親も社会も関係無い、と自分の思うままに進んでも内心はとても親や社会の反応や評価を気にしてビクビクしている。
誰一人お前はダメだなんて言ってこないのに。
自分の頭の中で作り上げた父親や社会が言ってくる。
被害妄想、被害者意識もいいとこだ。
かといって世間的に「正解」とされていることに沿おうとしても発達障害ゆえ能力が低すぎてできない。
どちらを選んでも安全ではないし、どちらを選んでも不幸なことに変わりない。
そこで「納得解」という考え方。
正解が一つという正解主義から抜け出す。
人間は社会性のある生き物でありそういう生き物。
みんながそうだから自分もそうあろうとする「習性」を持つ。
呪いや洗脳ではなく生物としての習性だ。
自分がこの生き方でいいのだ、と納得する。
ではその「納得解」を導き出すにはどうすればよいか?
今後考えていこう。
「周囲を自分と同じような人で固める」
というのはどうだ?
夏に漫画教室の体験に行ったがあれは良かった。
クロッキー会も良い。
同人イベントに出るのはまだハードルが高いか。
作業通話も活用しよう。