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2024年 02月の記事 (4)

北国の夜汽車 2024/02/24 12:05

2月第4週

人は社会悪と認識すると、正義の行使に関わる手段のすべてを正当化しがちに思える。
これが頭の悪い、もしくは幼稚な環境で発生するとイジメになる。
そして、イジメていた人がイジメられるのは社会悪の循環。

人死が出なければ、良いネタをなったと楽観的に喜べるのだけど
”今回”は、重たい勉強になったという感覚。

ネタというのは、それを得たときの重さや楽しさによって、その後に作られる作品への関わり方が大きく違ってきそう。
小説家が、不幸な人ほど面白いものを描くというのも、そういう部分が大きいのかもしれない。

■週間未来予測(二年以内の未来)
マスメディアを上手に叩いた人が名声を得てゆくパターンが目に見えて増加する。

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北国の夜汽車 2024/02/17 20:20

2月第3週

ハインリッヒの法則:1件の重大な事故の背景には、29件の軽微な事故と300件のヒヤっとするような事故(ニアミス)がある。
そういえば、漫画界隈でも今まで数々の問題点が指摘されていたなと思う。

話変わって、最近は「Yahooニュースのコメ欄。関係者が湧き過ぎだろ。」と、思った。
”今回の事件”に関わらず、何かの業界が関わるニュースが出ると、関係者と思われる方がコメントを付けているのを見かける。
最近だと、ANAがコラボして整備系職員の漫画が連載開始されるニュースがあったけど、低賃金やら子会社である待遇などによって人手不足になるのだとツッコミが入っていた。

Yahooニュースのコメ欄。もしかすると、ネタになりそうな事が転がっているのかもしれない。

ネタと言えば、脚本家界隈の生の声もある意味で面白かった。
集団で転落していく人間たちの人格形成の良いサンプルとして…

■週間未来予測(二年以内の未来)
炎上対策に失敗した企業が、力を失っていく姿が顕になる。

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北国の夜汽車 2024/02/10 12:42

2月第2週

脚本用語だったかTV演出の用語だったと思うけど「〇〇ボタン」ってのがある。

いちばん簡単なのは、漫才のTV放送で観客の笑い声が入っているパターン。「笑いのボタン」。笑いの同調。
ドキュメンタリー映像などのワイプで、矢口真里が大号泣。「泣きのボタン」。泣きの同調。
「怒りのボタン」は誰か得意な人の説明を探したほうが早い、、これの説明はちょっと苦手。

多分、演出する人がそれぞれに得意なボタンとそのスタイルを持っていると思う。

で「泣きのボタン」。
ニュース記事の題名で「号泣」「泣いた」とかあるのは、泣きのボタンそのもの。なにかの事象に対して、泣くという読者との感情共有を図る意図。
すなわち、読者を泣かせに行っている。泣いてもらいたい人が書いた記事。
こういうのは情報リテラシーにも関わるのかもしれないけど、常に相手が何かしらの感情を利用しようとしてきている事を忘れないのも危機管理の一つだと思う。

話変わって物語。
登場人物の仕草やセリフ一つで作品の印象が大きく変わってしまう。
登場人物に泣かされるか、笑わせるか、怒らせるか。誰にそれをやらせるかで、そこで起きていたイベントの感じ方が大きく変わる。
描きたいことを描けているかの大きな分岐点になる。だからこそ作者は気を使う。

今一番これを実感しているのは、編集者一同様であらせられる御方々かもしれない。
泣かせに行って、二割が泣いて、八割に嫌悪感を抱かれるたら炎上が継続してしまう。

■週間未来予測(二年以内の未来)
TV、新聞、出版などの炎上が日常的になる。
ジャニーズや吉本のネガティブ情報を抑えきれなくなったことで、マスメディアの力が大きく失われる。
この先、些細なメディア関連の問題を抑えきれず、さらに以前に抑えていた類似ニュースまで掘り起こされ炎上が大きくなる。
メディア業界そのものが負の連鎖をし始める…のではないかと勝手に予測。

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北国の夜汽車 2024/02/03 05:37

2月第1週

自分の現状をふと、、
二次創作界隈と脚本界隈で現在もつながりのある知人はいない。
知人の事後情報は追っていないが、たぶん過去の付き合いが復活する可能性は無い。
ので、書きたいことを少しぐらいなら書いても大丈夫だろうと。

ここ数日のニュースを見ていると、一次創作と二次創作ってのは同人界隈での軋轢かと思っていたのだけど、TV脚本界隈もけっこう酷い。

二次創作の同人誌ってのなら自分もやったことがあるけど、真面目にお金が目的で仕事としてやるにしても、遊びで作るにしても好きにすればいいと思う。
とはいえ、一次創作と二次創作の間には無限とも思えてしまうような空間が見えてしまう。

今回の事件で、脚本界隈の方が「同じ作家として」という言葉を口にした部分が、クローズアップされるほどに世間としても同じものとは扱ってくれない。
しかし脚本家たちは、この言葉を口にする程度には、同じ作家だという認識を持ちたがっているように感じる。
しかし現実は、ここ数日のネットで吐かれ続ける暴言が、二次創作の脚本家たちの現在ポジションなのだと思う。

ちなみに、一次創作と二次創作では作業内容が違いすぎる。個人的には漫画の一次創作と二次創作で同じ部分は、冗談でもなくフォトショの使い方ぐらいしか無い気がする。

少し似た話で、写真のトレパクが一時期話題になっていた時に、絵を描くのはオレなんだからパクったぐらいで文句言うのはおかしいとか言い放った知人がいた。
もちろん、「そう思うなら、連絡先があるのだから許可を取れば?」と返して黙っていただいた。
ついでに、カメラ機材の値段、旅費を計算してみれば?と追い打ちもかけて。

未遂で終わる多少の思い違いも20代前半ならギリギリ許されるが、30代を超えると許されない。
今回のように、50代を超えているであろう脚本家たちが思い違いをしていたら、ネットでサンドバックになっても同情はできない。

色々な情報に接して驚いとことといえば
脚本家が「原作クラッシャー」という言葉を攻撃だと認識していて驚いた。ネットスラングではあるが感想、批判の範囲内。脚本家の被害者妄想が酷い。
というか、創作の世界で全否定される経験を積んでいないのではないかと疑った。
作品の全否定なんて日常茶飯事なのが創作の世界だと思うが、たしかに二次創作って下手という評価でとどまってくれている気がする。

何にせよ、創作に関わる色々な仕事の現在ポジションを認識し直すきっかけにはなる気がする。起点があまりに不幸すぎて悲しいが。

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