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2017年 04月の記事 (4)

尾上屋台 2017/04/25 18:48

あの日の水色キャッチボール

ここ数年、近所に新築の家がたくさんできてね、新しい家族がたくさんやってきたんだ。
俺がここに越してきた時は、越してきたばかりだから当然なんだけど(笑)、新参者って感じでね、それが今や古株の家のひとつになったってわけだ。

新参者感が、子供心にもあったのは、当時越してきたのが俺の家族だけだったからかもしれないね。
今近所にたくさんいる新しい家族は、長い間ウチの目の前の、時に畑だったり空き地だったり駐車場だったりと、ともかく結構広い土地があってね、そことその周辺に建てられた一戸建ての家々に一斉に越してきたって感じで、その人たちにはあんまり、新参者感はないのかもしれない。

多分だけど、子供できたんでマンションとかが手狭になって、いっちょ頑張って一戸建て買いましたって感じなんじゃないかな。
ああ、やっぱ晩婚化が進んでるんだなあって思うのは、赤ん坊だったり、大きくても小学校低学年くらいの親たちが、自分よりちょっと歳上が多いってとこ。
二十台半ばか後半くらいの子供だったら、もう子供も高校生とか、下手したら大学生とかでもおかしくないもんねえ。
その点は、ちょっと意外でもあったよ。

今も、子供たちが俺の部屋の下で、ぎゃーぎゃー騒いで遊んでる。
この辺も、久々にちょっと賑やかになってきたな。
俺が小学生の時には、家の下の道で、野球とかドッジボールとかやったもんだよ。
今考えると、結構無茶だな(笑)。
別に広い道ってわけじゃないからね。
ただ、大通りではなく、完全に住宅地の真ん中って感じなんで、車とかは全然来なかったな。
子供にすりゃ安全な遊び場だったわけだけど、こうして大人になってみると、なんて狭いとこでやってたんだろうって思う(汗)。
野球なんかは基本広い空き地でやってたけど、たまに他のグループが占拠してて、できないことがあってね。
そういう時は、ちょっと広めの道を探してね、ウチの前も、そんな遊び場の一つだったってわけさ。
ホームランはおろか、ファウルチップでもボールが周りの家の敷地に入っちゃってたからなあ。
その度に塀をよじ上ってボール取りに行ってね。
最初は近所のおばさんとかも怒ってたけど、ある時期から何も言わなくなったな。
まあ、大らかな時代だったってことさ(笑)。

ちょっと前まで、この近所には仕切り役というか、そういうおばさんがいたんだ。
あだ名は、「じゅんぺのおばさん」。
じゅんぺ、ってのは、飼ってた猫の名前だな。
多分「純平」って名前だったんだろう、子供の間で「じゅんぺ」と呼ばれる猫を飼っていたわけ。
ともあれ、俺たち子供の間では、この人の名前は「じゅんぺのおばさん」だったんだ。
そのじゅんぺのおばさんも、いつの間にかおばあちゃんになってたけど、まあ自分もいつの間にかおっさんになってるわけだから、それもまあ当然か。
この人も、実は自分たちが越してくるちょっと前辺りにここに来た、当時の新参者の一人だったみたいなんだけど、まあなんつうか、貫禄あってねえ。
やせたおばさんだったんだけど、子供心に「この人がこの界隈のリーダーか」みたいのを感じ取ってた気がする。
結構厳しい人だったけど、俺たちが子供の時にこの辺りでボール遊びしてても、特に何も言われなかったなあ。
挨拶しないと怒られるんで、ホントつい最近まで、この人と顔合わせると、必ず挨拶してたもんだよ。
厳しいってのは、こういう部分の厳しさだよな。
その意味でも、当時の時代性みたいのは垣間見えるよね。

で、ちょっと前まで、と言ったのは、二、三年前くらいかな、既にかなりの高齢になっていたじゅんぺのおばさんは、家族に引き取られて、今はその家族の元か、あるいは施設に入ってると思われるんだよね。
最後に見た時は、もう、こちらが挨拶しても、俺が誰だかわからない様子だったよ。
俺も介護してたからわかるんだけど、あの独特の、話しかけられた相手が誰だかわからないって様子の、なんともいえない、いぶかしそうな目で俺を見るんだ。
その目見て、ああ、もう俺が誰何だかわからないんだなって思った。
三十年以上、顔合わす度に挨拶してきたんだけどな。
無言で、別れの挨拶をしたよ。
娘さんなのかな、五十代くらいのおばさんに手を引かれて歩いてた、その背中が、随分小さく見えたものだった。
その人が、じゅんぺのおばさんに代わって、俺に挨拶するような感じで。
多分娘さんだろうね、手の持ち方とかで、そういうのわかるから。
面倒見の良さそうな人だったよ。

で、話戻すと、今、子供たちが遊んでる声を聞いて、唐突に思い出したことがあるんだ。
まだ俺が小学生低学年の頃、家の前の道で、一人キャッチボールみたいのをしてたんだ。
あの、壁に向かって投げて、跳ね返ってきたのを自分でキャッチして、ってヤツだね。
この時のことは今も記憶に残ってるんだけど、何故かこの時、俺は一人でキャッチボールしてんだよね。
基本的に、外で遊ぶ時ってのは誰かしら、それもそれなりの人数いることが多かったんで、なんでこの時だけ一人でやってたのかは、謎だよ。
別に暗い記憶として残ってるわけでもなく、友人たちと喧嘩してハブられたとか、そういうわけじゃないんだよな。
嬉々として一人キャッチボールしてたからね、今にして思えば何でだろうって感じだけど。

この記憶にはもうひとつ、今も覚えてることがあって。
それは、そんな感じで一人キャッチボールしてたら、近所のお姉さんが、途中からその相手をしてくれたことなんだ。
ひょっとしたら、俺が一人でキャッチボール続けてるの見て、寂しそうだと思ったのかもしれないね(笑)。
子供からすれば随分大人に感じたから、おそらく二十歳くらいだったと思う。
多分、正味十分くらいかなあ、このお姉さんが、キャッチボールの相手をしてくれたんだ。
俺が投げる度、「あ、すごいすごい」とか「今の、いい回転してたよ!」とか、何かしら褒めてくれるんだよね。
まだほんの七、八歳の子供でしょう?
こういうのに弱いっていうか、もう嬉しくてしょうがなくてね(笑)。
十五分か二十分くらいで帰っちゃったんだけど、この時の喪失感といったら!(笑)
自分がもうちょい大人だったら、多分惚れてたなあ。
あまりに子供だったものでまだそういう感情すら芽生えてないわけだけど。

もうずっと忘れてた記憶なんだけど、そのお姉さんが水色の服を着てたのは覚えてる。
「水色の服」ってのが、いかに曖昧な記憶かわかるなあ。
シャツだったかトレーナーだったか、服の種類すら覚えてないんだから。
この水色のお姉さんと会ったのは、この時が最初で最後だったんだ。
でもこういう、面倒見が良いというか、そういう人から受けた善意は、忘れかけた頃に甦ってくるね。
ただ、今でもこうして覚えてるってのは、俺が初めて、身内以外の大人の女性から受けた、最初の善意だったからかもしれないね。

また時代の話になって恐縮だけど、こういう人ってのは、当時は結構いたもんなんだよね。
今だったら、子供は知らない人に声かけられただけで警戒するだろうし、大人の側も、あらぬ疑いをかけられてはと思うから、子供に声をかけることもなく。

でももうひとつ、これは俺の中で苦い思いでとしても残ってるんだ。
俺、この水色の服を着たお姉さんに、お礼を言ってないんだよね。
そのことは、ずっと引っかかってるんだ。
別れ際も「もっと遊ぼう」くらいのことしか言わなかった気がする。
子供ってのはそんなもんなんだけど、当時から、別れ際にちゃんとお礼を言えなかったことは、今でも悪かったなあって思ってるわけさ。

そんなことを、さっきまで子供たちが道端で遊んでたもんで、思い出した。
と、同時に、もうひとつ、気づいたことがあるんだ。

二、三年前、じゅんぺのおばさんの手を引いていたおばさんは、実はあの水色のお姉さんだったんじゃないかって。
じゅんぺのおばさんには、自分らが越してきた時には一人暮らししてたけど、娘が一人いるってのは、大分以前に聞いたんだ。
俺より十三、四歳くらい上だとすると、五十代くらいに見えた、あの、じゅんぺのおばさんの手を引いてた人と、年齢的に合致する。

多分、あの人で間違いないと思う。
そうなのだ、気づかなかったけど、あの時親切にしてくれた、あのお姉さんに、もう一度会っていたんだ。
俺が最後にじゅんぺのおばさんに挨拶した時に、代わりにその人がにこっと笑いかけてくれてね。
いい娘さんに恵まれたなあと思ってたけど、ああ、そうだったのか。

あの時は、たまたま実家に帰省してたんだな。
で、俺が一人でキャッチボールしてたのを見て、相手をしてくれた。

また、お礼を言い損ねてしまったよ。
まさか俺のことなんて覚えてないと思うけど、俺はあの時のこと、今でもこうして覚えてるんだな。
ちゃんと話す機会が今後あるかどうかわからないけど、その時が来たら、ちゃんとお礼がしたいと思ってるよ。

今でも覚えてるくらい、それはとても楽しい時間だったからさ。

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尾上屋台 2017/04/21 03:23

格闘技を始めた日の、すごい偶然

サンボって知ってるかい?
今では格闘技の知識ある人多いんで、すぐにあれだとわかる人も少なくないと思うけど、当時はほとんど誰も知らなかったよ。
サンバと勘違いされるくらい。

昔、格闘技をちろっとだけかじったことをあるという話は、何度かしたことがあったと思う。
ネットのみの関係の人でも、チャットとかで話したことある人だったら、大体知ってるかな。

自分の格闘歴(と自分で書くのは恥ずかしい)は高校の時、大学の時、大学を出た後の三期分あるんだけど、いずれも短い期間で、「昔ちょっとかじったことありますよ」以上のことは言えたものではないので、そういう話題を振られても、ややぼかして話してきたんだな。
ここではその話もちゃんとしたいと思ってて、今回は最初の、高校の時の話をしたいと思う。
全部話すと長くなるので、とりあえずきっかけの話から。

以前ここでも書いたように、高校はとんでもなく体育のキツい学校だった。
普通高校生って、授業についてく為に家でも勉強したり、予備校に通ったりするもんなんだろうけど、俺の場合、体育の授業についてく為に、家帰ってからも運動始めたって感じだな(笑)。
一人だったらそこまで熱心にやらなかったと思うんだけど、近所の友人がジョギングとか誘ってくるようになってね、俺も必要性に駆られてたんで、運動を始めたんだ。
これも以前書いた通り、とにかく中学時代からまったく運動駄目になってしまってね、最初はキツかったよ。

そんな感じで、高校の体育は基本的につらかったんだけど、唯一、比較的できるんじゃないかって思ったのが、柔道だったんだ。
初めて柔道の授業があった時は、「うわー柔道。殺されてしまうかも」って思ったんだけど、これが意外にできてね。
まあとりあえず先生の言う通りに大腰だの背負い投げだのやってみるんだけど、なんかこれ、できたんだよ。
どれも言われた通りやれば、難しい技ではなさそうだし・・・と周りを見ると、みんなちゃんと投げることが出来てなかったんだな。
あれ?って感じだったよ。
周りもあれ?って思ってたんじゃない?
ここまで運動能力の低さを存分に見せつけてきた俺が、何故かこれだけはできたわけだから。

「柔道やってたことあるの?」って聞かれたけど、全然。
いや、教えられた通りやれば、俺みたいな非力な奴でもでかい奴投げられるのが柔道じゃない?
柔道部とか入って大会目指すわけでもないし。
あくまで体育の授業でやってるレベルなんだから、そんなに難しいことやってるわけでもないし。
って思ったんだけど、どうもそうでもなかったみたいで。
これひょっとしたら、他のスポーツできる奴って、こんな感覚なのかとも思ったよ。

これは小学校の時の球技もそうだったんだけど、どうも俺には、得意なスポーツとそうでないものの差が、かなりはっきり出るタイプみたいだったな。
とにかくね、これ別の時にまた話すけど、走るのが苦手なんだよ。
苦手というか、遅い。
クラスで太ってる子って、二、三人くらいいるでしょ?
かろうじて彼らに勝てるくらいで、標準的な体型してる人間の中では、とにかくぶっちぎりで遅い。
で、子供の時、小学校高学年くらいから中学にかけては、体育の授業って、走るのが中心になるじゃない?
自分が体育不得意になったのって、授業内容によるところも大きかったんじゃないかって、今にして思うよ。
高校も死ぬほど走らされたけど、柔道は走らない競技だからね(笑)。
野球が得意だったみたいに、これもまた、意外とできるスポーツだったみたい。

思うに、「自分の身体のみをコントロールする」系のスポーツは、とにかく駄目だったなあ。
ちなみに、泳ぐのもまったく駄目なんだ。
学校のプールで溺れかけたことがあるくらい(笑)。
対して、野球で言えばバットとボール、柔道で言えば相手の身体、要は対象が自分の身体だけじゃない競技ってのは、むしろ得意と言えるくらいの成績が出せた。
サッカーなんかは、シュートだけは上手かったな。
でもあれはほとんど走り回るスポーツだったんで、やっぱり不得意なスポーツだったよ。

ともあれ、柔道は、意外なほどできたんだ。
乱取りでも、ほとんど負けなかったよ。
あまりに体格差がある人間とは、先生の側で組ませなかったけど、同程度の体格の中では、一回しか負けなかったな。
この一回を今でもはっきりと覚えてるくらい、ほぼ負け知らずだったんだ。

さて、話を家に帰ってからのジョギングの話に戻すと、この友人は、高校に入ってからキックボクシングを始めていたんだ。
要は、それの体力作りに付き合わされていたんだな(笑)。
この彼は勉強も運動も俺よりできたからね、何かと面倒を見てくれてたんだな。
つっても俺には昔から、微塵も子分体質がないからね(笑)。
彼はどう思ってたかは知らないけど、俺は対等な関係であるつもりだった。
でも、彼はどう思ってたのかなあ。
そして俺自身も、およそ彼に勝てる要素なんてゲームくらいだなってことは、ちゃんと自覚していたよ。

ある日、彼が持ってきた「格闘技通信」に、サンボの体験教室の記事が載ってたんだ。
彼は申し込む気満々だったんで、まあ俺も付き合いで一緒に行くことになったわけ。
この時点でサンボのことは、聞いたことがあるってくらい。
俺も一応、ちょくちょく後楽園ホールに行くくらいにはプロレスファンだったからね、どんな格闘技なのかってことくらいは、なんとなく知ってた。

体験教室は、新大久保のスポーツ会館でやるってことだったんだけど、ちょっと余談で、なかなか場所が見つからなくてねえ。
なんかその時の地図で、大久保駅から徒歩何分みたいな記述だったのか(雑誌は彼が持ってたので道案内は任せてた)、途中で道に迷って、文字通り走り回った記憶があるよ。
もう着いた時には汗だくでね。
これ、新大久保からだったらそんなに迷わずすぐに着けたんだけどね。
当時はわからなかったもんで。

ともあれ、サンボの一日体験教室に入ったということで。
参加者は、結構多かった。
二、三十人くらいいたかなあ。
内容は、ほぼ柔道の授業に近い感じだったよ。
関節技が入るのが、柔道にはない動きで、面白かった。
関節技は柔道にもたくさんあるけど、体育の授業ではそこまでやらなかったんで、当時世界一関節技の多彩な格闘技と言われていたサンボの技は、どれも楽しかった。

で、その日の最後、全体を二つのグループに分けて、一人一回ずつ、相手のグループの人と実戦形式で戦って、締めということになった。
その前に、柔道の授業とか寝技投げ技系の格闘技やったことある人はわかると思うけど、この手の練習って、一つの技をやったら人を替えて次の人と組むって感じで、同じ人とずっと組むって感じじゃないんだよ。
だから友人の彼とは、最初の技の練習をやった後は、離ればなれになってたんだ。
そして、最後のスパーリングだけど、二つのグループから一人ずつ出て行って、スパーリングをこなしていった。
みんな初めてだからね、ぎこちない感じだけど、教えてもらった技とか試そうとしてるの見てると、なんかうれしい気持ちになったりして。
またみんな初心者なものだから、時間いっぱいまでやっても決着つかないこと多くて、一本終わる頃には誰もがバテバテだったよ。
うわー、これは疲れそうだって、俺なんかはそのことに戦々恐々としちゃってさ。
で、自分の番が回ってきた時、対面に立っている男を見て、すごい偶然だなって思ったよ。
そう、まったくランダムで順番待っていたにも関わらず、対戦相手として出てきたのは、あの友人だったんだな。
マットに向かう時に、お互いちょっと笑ってしまったよね。
ただの偶然だけど、こんなことあるんだって。

俺としては、全く勝とうなんて思ってなかったよ。
さっき言った通り、彼にはゲーム以外で勝ったことなかったからね。
全てにおいて俺が劣っていることは、それまでの三年近い付き合いの中で、充分わかってたからさ。
なので、微塵も緊張しなかった。
どうせ負けるだろう、くらいの感じで、気は楽だったな。
そもそも、勝とうとはしてなかった。

んで、結果はというと・・・。

多分十秒かからなかったと思う。
ほとんど一瞬って感じで。
ものすごくあっさりと、勝った。
一本勝ち。
バシーンと、背中から叩きつけて。
審判が俺の手を上げている時も「え、何?」って感じだったよ。

何が起きたのか、実感できたのは帰り道くらいだったと思う。
彼が仕掛けてきた背負いをいなして、足払いと大外刈りを合わせたような感じで、背中から叩き付けたってことは、自分の動きと、彼の話を総合して、ようやく全容がわかったって感じで。
ほとんど、本能的な動きだったと思うけど、動きそのものは、柔道の授業で身につけたものだよね。
「まあまあ、偶然でしょ」って俺は言ったんだけど、彼は結構沈んだ様子でね。
「負けた。負けた」って、何度か呟いて。
その様子見て、ようやく実感できたよ。
あ、俺、ついにこの彼に、勝ったんだなって。

たったひとつの勝利だけど、これ、男の子だったらもうひとつ、桁違いに大きな勝利だったってこと、わかるでしょ?
そう、喧嘩に強いってのは、男にとってものすごく大きいことなんだよね。
ちゃんとした喧嘩なんて、それこそ小学校の時に一回あったくらいで、今まで取っ組み合いの喧嘩なんてしたことなかったからさ。
特に、俺みたいな、この当時は160cmしかなかった俺からすると(大学に入ってから165cmまで伸びた)、彼の身長は176cmだったかな、喧嘩、取っ組み合いに近い、格闘技という舞台で彼を秒殺できたってのは、それはそれはでかいことだったんだよ。
俺も当時は「ただの偶然」って言ってたけどさ、組技系の格闘技に、金星ってほとんどないからね。
もう一度やっても、多分勝てるなって感覚は、はっきりとあった。
取っ組み合いに強いって感覚は、時に他の全てを凌駕するよな。
男同士になった時には、どうしたってこういうものはつきまとう。

ちょっと、世界が変わったよね。
彼との関係性もそうだけど、あれ、運動できないはずの俺だけど、意外と腕っ節は強いのかもって。
柔道の授業の時から、これは向いてるなって感じはあったんだけど、やっぱこれ、できるんじゃないかって。
ていうか、面白かったんだよ、柔道だったり、要は格闘技が。

もうその月の内に、サンボを始めることにしたよ。
その後の話は、また今度にしようか。

何の気負いもないきっかけと、思いがけない偶然で、世界がごろりと変わった経験が、君にはあるかい?
もしあったら、聞かせておくれよ。
ああいった感覚は、人生でそう何度と味わえるものではないよな。
本当に、誇張じゃなく、世界が変わったみたいに見えるんだから。

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尾上屋台 2017/04/16 21:37

それは、いつまでも宝物

ガラにもなく、ひどく落ち込んでいる。
おかげで、昨日からずっと胃が痛いのだ。
が、こんな時に、いつも見るメールがある。
ツイッターでも何度か触れた事があるし、ここでも、今年の始めにそれについて触れた。
しかしながら、「いつかこれについては書こう」と言い続けて書いてこなかったので、この機会に、 きちんとここに書いておこうと思う。

一昨年になるのか、2015年末に、一通のメールをもらった。
まったく見ず知らずの人だったのだが、タイトルには、「プリンセスブライトを拝読しました」とある。
開けてみるとはたしてそれは、プリンセスブライトシリーズの、感想なのだった。

まさか、と一瞬我が目を疑った。
本当に嬉しい事にはあまり慣れてなく、すぐには気持ちがついていかなかった。
そうなのだ。
これは待ちに待った、作品に関する感想なのだった。

いや、ピクシブやツイッター等では、ちょっとした感想は、いくつかもらっていた。
それらについては、いつも感謝している。
ただ、中には、いわゆる社交辞令的なものも含まれるので、それが嫌だということはもちろんないわけだが、なにか無理に付き合わせてしまったかのようで、時折、申し訳ない気分になる。
ありがとうと返しつつも、「いやー、こんなもんに時間や金をかけさせてしまって、本当に申し訳ない」なんて気持ちも、微妙に混じってくるのだ。
感謝と申し訳なさが、同居してしまう。
無論、感謝の方が大きいし、そういうものがないと何かを作り続けるというのは本当にしんどいことなので、それすらない時は、本当に落ち込んでしまう。
こんな気持ちになるのは自分だけなのか、と思っていると、漫画家で、ぽんぽん単行本出しているような人でも同様の気持ちになるらしい。
たった一言でも、とすがりたい気持ちになるのは、よほど売れている作家でもない限り、皆ある程度同じなのかもしれない。
もうひとつ感情を付け足すとすると、「ホッとする」。
たった一言でも感想をもらえると、本当にホッとするんだな。
その意味では、コメントくれる人には、助けられているよ。
あらためて、ありがとうと言いたい。
いや、これについては場をあらためた方がいいかな。

作り手ではない人には中々想像できないことだと思うが、作品に関する感想文というのは、基本的にまずもらえるものではない。
以前、大学時代の友人たちと飲んでいる時にも、「そういう仕事してると、ファンレターとかもらえたりするの?」なんて聞かれたりした。
とんでもない(笑)。
かつてはエゴサーチなんかもしたことがあるが(名前の出ない仕事のみなので、作品で検索する)、基本的にこの商売、名が売れてない限り、叩かれることしかない。
無視、触れられないか、叩かれるかしかないんだよね。
それでも仕事できたりしてるのが不思議なのだが(笑)(笑えない)、 いつの頃からか、そんなことはどうでもよくなった。
よほど名が売れ、しっかりとファンでもつくような所に行き着かない限り、所詮は裏の仕事なのである。
いくらその仕事に全身全霊をかけようと、浮かばれる者の数は、ごくごくほんの一部なのだ。

以前ピクシブで知り合った人に、作品の感想を送った事があったのだが、その時は大層驚かれたし、感謝されたりもした。
その時期は自分も仕事がまったくなく(それ以前にはクライアントを挟んでほぼ個人的な依頼をこなす日々だった) 、なのでそういった風に感謝されるのもピンと来なかったのだが、その後に、自分も仕事や同人をやるようになって、その気持ちがわかるようになった。
なるほど、いくら絵を描こうとも、たとえばピクシブのちょっとしたコメント以上のものは、まったくないのだ。
感想を送った人は、アンソロジーコミックやCG集でもかなり売れてる人たちだったので、こんな感想送ったとこで読まれるかもわからないけど、一応良かったって気持ちは伝えておこう、くらいの気持ちだったんだな。
どうせ感想とかそれこそファンレターのようなものは唸るほどもらっているはずだと思っていたので、逆に送るこちらとしても、そんなに大きなものだとは思ってなかったんだな(笑)。
一人目に感激された時は、たまたまというか、そういうこともあるのかくらいだったのだが、二人、三人目と「こんな感想もらったのは初めて。とても嬉しい」的な返事が返ってくると、「ああ、そういう世界なのか」ということに気づかされた。

その意味でも、自分の場合、ピクシブとかでもコメントもらえると、とてもありがたいと思うんだな。
絵に関してはパッと見でみたいのがあるわけだけど、小説なんかだと、これは本当に嬉しい。
それはきちんと最後まで読んでもらえたってことだからね。

と、話が脇道に逸れすぎる前に、戻そう。
そう、一昨年の暮れ、ついに、自分も作品の感想文ってヤツをもらうことができたのだ。

いや、実に内容をよく吟味してくれた感想だった。
シリーズ通してのテーマや、小説の方にも通じるもの、ともかく各作品、実に読み込んでくれているのがわかった。
さすがに、驚かないわけにはいかなかったよ。
そうか、こんなにちゃんと作品と向き合ってくれてる人がいるんだなって。

特に自分の場合、CG集の方はややコメディタッチ、小説の方は無駄な装飾を一切省いて行間で表現することにこだわってるんで、いずれも、「こういうことを描いてます」みたいのは、表に出にくい、もっと言えば説明していない作品なんだよね。
これは、あまり説明してしまうと受け手に自分の価値観を押し付けてしまうことになるので、自由に解釈して下さいってことなんだけど。
そういうとこ、怖いくらいよくわかってる人で、かつ、書いた自分でも意識してなかったとこまでしっかり見てくれていて、あー、こんなに理解してくれてる人がいるんだなって。

あ、一応言っとくと、作品は好きに解釈してくれて構わないんだぞ。
どう受け取ったか、どのキャラクターにどういうイメージを持ったか、みたいのにこちらとしては興味があるので。
変な話、いい意味で勘違いしてほしいというか、そういう方向にミスリードしてるものってのも多々あるんで、仕掛けもあるけど、ホント、好きなように解釈してほしいんだ。
それが聞きたいってのもあるし、もしイメージの沸くキャラがいたら、どうぞお持ち帰り下さいって感じだからね。

ただこの人の場合、ものすごく作品に対する理解が深かった。
ああ、こんなすごい人に感想もらえたんだって、それはすごく励みになったし、数少ない、俺の誇りでもあるよ。

落ち込んだ時、気が塞いだ時、 自分はこのメールを見る事にしている。
内容そのものがうれしいというのはもちろんあるのだが、こんなにちゃんと見ていてくれてる人がいる以上、絶対にいい加減なものは作れないという気持ちにさせてくれるのだ。
そういう意味では、支えだな。
これはいつまでも、自分の中の宝物であり続けると思う。

絵でも小説でも、はたして俺は、誰かの宝物になりうるようなものを作れてこれたかな。
今はそうでなくても、いつか、今これを読んでいる君にとって、そういうものを作りたいと思っているよ。
それが、俺にとっての夢だな。

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尾上屋台 2017/04/01 05:01

「○女戦記」

・アニメ公式
http://youjo-senki.jp/

架空のヨーロッパを舞台にした戦争モノですね。
航空機の代わりに、魔法で空飛ぶ人たちが戦いますが、概ね世界観は、実際の大戦時と同じって感じで。

一話目は、サイトとかで見たビジュアルとそう大差ないというか、イメージ通り、まあこういった作品なんだと。
で、二話目以降ですね、この作品が面白くなってくのは。

基本的に、戦争ってものが、よく描かれてる作品だと思います。
その残酷さや矛盾、人の欲望なんかを、かなりしっかり描けてる。
何気に、こういった作品では珍しいと思います。
僕も、映画含めてこの手の作品はちくちくと見てきましたが、大義や正義を前面に押し出してくる、要は戦争礼賛的な作品(と言うと言い過ぎなんですが)か、パーソナルな方に焦点を当てた、戦争反対的なものか、どっちかに針振ってるものがほとんどなんですよね。
この作品はそのどちらでもない、要はこういうことをしてしまう人間の愚かさみたいのを、ちゃんと見ている作品だなって思いました。

主人公は、どちらかというとアンチヒーロー的なキャラなんですが、小賢しく立ち回っても常に上の存在がいたり、裏目に出てしまったりと、そういう部分でなんとも憎めないんですよね(笑)。
これがまた、この世界観にすごくよくマッチしてて、すごく善良だったりすると、なんで戦争して人殺しまくってるんだって話ですし、悪い(ないしは欠落を感じるほどに鈍い)人間だと、ただ残虐さを見せるだけの作品になってしまうんですよ。
また敵対する存在として神を持ってきたってのも、この○女のルックスと相まって、すごくいいスパイスになってますよね。
もうちょい大雑把な作品なんじゃないかと思ってたら、細部まで実に緻密に関係性が組み立てられてて、これは久々に、すっごくレベルの高い作品だと思いました。
僕も今戦争モノの小説やってますけど、あ、この角度からの切り口もあるんだなあって。
そちらの方は既に終わりまでの大枠はできてるんで、今から何かを変更することもないのですが、ていうか、これ見る前に始めて良かったなあって(笑)。
技術的なものは別として、書き始める前にこの作品に影響受けてたら、積み上げてたものを大分崩さなくちゃいけなかったと思うので(汗)。
それくらい、しっかりとした作品です。

でも、最終話で描いてたテーマってのは、ほとんど同じかもしれませんね。
正義や大義で始めた戦争ってのは、終わらないんですよ。
どこかで区切りは着きますが、実際の歴史を見ればわかる通り、今なお収まらない戦争や紛争は、ほとんどが第一次大戦の頃からの続きなんですよね。
ヒストリーチャンネルでやってた「ワールド・ウォーズ」でも、第一次と第二次を連続した、大枠でひとつの戦争と捉えていたように、今の時代の争いのほとんどが、この時期に端を発しているといっていいわけで。

変な言い方ですが、封建制の頃の、相手の領土分捕りたいみたいな欲望丸出しの戦争の頃の方が、まだ終わりが見えるんですよ。
そこに稚拙な正当性やら何やらがあるにしてもですね。

近現代の戦争の始まりは、そのまま人類の歴史のターニングポイントといってもよく、それまでの戦争とは違うものになってく過程を、この作品はきちっと捉えていて、それは今までありそうでそんなにない(探したらいくつもあると思うんですが) 、特にこういった漫画/アニメ作品では希有な存在だと思いました。
そうそうそれそれ、その視点だよーって、特に最後は思わされました。
でもこの視点は、はっきりとそう言葉にしたのが最終話だったってだけで、作品の最初から、通底していたものですよね。
他の作品を落とす意図はないのですが、ここが欠けてるから、戦争モノってのは逆に軽くなっちゃう、ないしは、チャンバラの延長にしかなってないんじゃい!って思わされることも多くて。
ただ誰かが死んで悲しさを描くというのは、それ自体重要な描写でありながら、でも大きなテーマとして描くものではないんじゃないかと。
たくさんの人が死んで悲しいなあ、では、戦争モノでやる必要あるんだろうか?って思っちゃうんですよね。

根底にある人類の愚かさ、どうしようもなさを描いているという点で、この「○女戦記」は、傑出した作品だったと、そう思うわけです。

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