【小説】二人の美女に責められて
腹巻をした妖怪猫のぬいぐるみは、ガラスケース内部に設けられた唯一の脱出口に辿り着く手前でアームから滑り落ちた。
自分の非力さなどまるで気にも留めない傲岸不遜なアームは、決められたプログラムに従って、景品取り出し口に通じる穴の上で左右に開き、動作を停止した。
手元の残りプレイ回数表示が0になったのを確認してから、伊織利樹は6プレイ500円のクレーンゲーム台を後にした。
流行のゲームキャラクターのぬいぐるみを持って帰れば、弟は喜んだかな。そんな風にも思ったが、最初からそれが欲しかったわけではないのだ。むしろ景品を獲得した所で、教材やプリントを入れるためのカバンには入らず、邪魔になるだけだった。ただ、わずらわしいことを考えない時間が欲しかった。そして、誰かが次にプレイした時に、最初から景品取り出し口にぬいぐるみが入っていたら驚くだろうなという想像が、少しく愉快だったから。
ゲームセンターから出ると、11月の冷気が耳と鼻先に噛みついてきた。風は無かったが、凄いほどの望月が空気を冷やしているように思われた。
つい十日ほど前まではハロウィン一色だったのに、夜の繁華街は節操なくクリスマスモードに早変わりし、夜なお明るい通りには、疲れた顔や赤い顔のサラリーマン、大学生と思しき男女混合のグループ、派手な衣装と化粧で身を飾る女性、路上演奏中のミュージシャン、占い師、ホームレスなど色々な種類の人間が蠢いている。
最先端とは呼べない二つ折りの携帯を取り出し時間を確認すると、10時を少し過ぎていた。家に帰る気にはなれなかった。
金曜日の夜、利樹の父親は決まってお付き合いをして帰ってくる。その酒臭い息を嗅ぐのも、ストレスの捌け口にされるのも、ヘッドホンをしていても聞こえる母親との口論も、怯えたような表情で部屋に入ってくる弟を見るのも、こりごりだった。
だから、金曜の夜は同じ塾に通う友人の家に泊まるのが習いになっていた。気の置けない友達と、朝までゲームをしたり、お互いの学校のことを話したり、それが、一週間の内、最も心が癒される一時だった。
けれど、その友達は食中毒を起こしたらしく、今日は塾に顔を出さなかった。
心配だったので、塾の前にメールを送ると、
「ゲロ吐いて死にそう。ごめんな」と短い文章が返ってきた。
かなりまいっている様子だったので、
「葬式には行ってやらんでもない。来週徹夜でモンハンな」と送っておいた。
「ネカフェ……カラオケでもいいか……」
携帯で付近にある安価で夜を明かせる店を検索する。
財布の中には多少のお金、ヒットしたネットカフェでなら、一週間は滞在できそうな額が入っていた。次の金曜までずっとゲームをしたり、時期は過ぎたがホラームービーマラソンをしたりすれば楽しいだろうなと、逃避的な想像を膨らませつつ、少年が液晶に表示された最寄りのネットカフェを目指して歩き出そうとした矢先。
「ちょっと君」
出し抜けに、肩を掴んでくる強い力があった。背後を振り返ると、がっしりとした岩のような体躯を制服に包んだ年若い警官が、厳めしい面持ちでこちらを見下ろしていた。
「君、███だよね?」
「え……はい」
強面の巡査の高圧的な物言いに負け、反射的にそう答えてから、利樹はしまったと後悔の臍を噛んだ。大学生ですと言い張るか、急いでますからと慌てて立ち去ればよかったのに。受け答えした時点で、もう詰みだった。
「こんな時間までウロウロしてちゃダメじゃないか。家はどこ?」
「××です……」
「そうか、結構遠いな。駅まで付いて行ってあげるから、早く家に帰りなさい」
「あ、その……ええと……」
職務に忠実な警官に腕を引かれながら、利樹はどうにかこの場を切り抜ける上手いやり口を考えたが、閃きは一向に訪れなかった。
帰るのは嫌だ。その一念で多少強引でも腕を振り払おうとした瞬間、少年のもう一方の手首を黒いサテンの手袋を着けた手が掴んだ。
「え!?」
手の主は一目で高級と分かるミンクコートを羽織った、妖花のような美熟女だった。鼻梁は外国人のようにすっと通り、ぽってりと肉厚な唇は赤紫のルージュで艶光り、瞳は冴え冴えと黒く深い。元からの美貌を濃い化粧で彩っているため年齢はハッキリしないが、その匂い立つような妖艶さは、少なくとも20代の小娘では到底醸し出せないものだと言えた。
「ああ、こんなところにいたのね。心配したわ」
美熟女は、緩くウェーブのかかった髪の毛をうるさそうに掻き上げつつ、真っ直ぐに利樹を見つめて親しげに言った。
利樹は阿呆のように口をポカンと開け、彼女を見返した。それも無理はないだろう、伊織少年の短い人生の中で、こんな男を虜にするために生まれてきたような極上の女と会ったのは、初めてのことだったのだから。どちら様ですか、とさえ口にできずに立ち尽くす少年の前に、さらにもう一人の女が現れる。
「もう、どこに行っていたのよ……あちこち探し回って、疲れちゃったじゃない……」
優しく叱るような口調でそう言いながら、コートの女の後ろから歩いて来たのは、皺ひとつないパンツスーツを着こなすショートボブの美女。175センチはありそうな長身で、手足はスラリと長い。切れ長の目元が涼しげで、顔の造作は中性的だったが、そういう人物特有のとっつき辛さを感じさせない、明るい表情をしていた。
「警察の方ですか? 本当に申し訳ありません。弟が、ご迷惑をおかけして」
スーツの女性は、少年と同じく目を丸くする若い警官に向き直り、愛想よく笑って会釈をした。耳にかかった髪の毛を掻き上げた瞬間、雫型の水色のイヤリングが、小さく揺れた。
「えと……あなた方は……?」
「この子の姉です」
コートの女が艶然と微笑して引き取った。
「ええ? しかし……」
警官は怪訝に眉根をひそめ、少年と二人の美女を見比べた。
にわかに信じられないと、口にせずとも表情が物語っていた。
ふいに、コートの女がスーツの女に視線を送った。すると、スーツの女は仕方ないなと言った感じで小さく溜息を吐き、警官の右手を両手で包み込むように握った。
「今日はそこのシネマハウスでレイトショーを見る予定だったのですが、ふと目を離した隙にその……弟とはぐれてしまって……」
そう言って美女は、警官の手を握ったまま、キュッと脇を締めた。いつの間にか、シャツのボタンは上から二番目まで外されており、肌蹴た胸元からシックな色のブラに包まれた張りのある乳房が覗いていた。それをさらに強調する、寄せて上げる動き。豊かな双丘が窮屈そうにシャツを押し上げ、魅惑的な谷間を形作る。
「あ、いや、あの……本官が言っているのは……そういうことではなく……」
どぎまぎと答えながらも警官の視線は、自然と女の胸元へ吸い込まれていた。あまりに扇情的な眺めに、男らしくくっきりと浮き出た喉仏が、ごくりと上下に動いた。
「ふふっ……」
警官の反応を見て、スーツの女は片方の口元を小さく吊り上げてほくそ笑むと、握った手をわざとらしく胸元に押し当て、上目遣いの瞳を潤ませ媚びるように、
「お話なら、弟の代わりに私が窺いますから……それで、かまいませんよね?」
「で、ですが……本官は……」
「私も、色々と話したいことがございますし……あまり人目につかない場所で……じっくり、心行くまで……お願いできますか?」
耳に息がかかるような距離でそう囁かれたその刹那に、警官の中にあった職務に対する忠誠心は音を立てて崩壊した。
「りょ、了解です……」
鼻息荒くそう答えた彼の口元は脂下がり、その一重の眼からは少年を問い詰めていた時の厳しさが消え、代わりにぎらついた欲望が浮かんでいた。
「うふふっ、あの子もやるわね……」
スーツ姿の美女に手を引かれ、無意志な犬のようにフラフラと、入り組んだ路地の方へと消えた一人の憐れな雄を見送り、美熟女は愉快そうに微笑んだ。
そして、まるで狐につままれたような表情で一連の出来事を見ていた少年の肩に手を回し、その耳元にそっと囁いた。
「ねえ、ボク……これから、時間あるわよね?」
「ひゃっ! あ、その……ええと……!」
利樹は転寝から目覚めたかのようにビクッと肩を跳ねさせた。
耳の穴に吐息と共に吹き込まれた声のあまりの艶やかさに、背筋にゾクリと悪寒が走る。
化粧と香水が混じり合った、濃厚な香りに頭がクラクラした。
「ぼ、僕を、どうする気ですか……」
喉から絞り出すようにして、ようやくそう答えることができたが、声音は今にも泣きだしそうなくらいに震えていた。
「ふふっ、怖がっちゃって可愛い……大丈夫、すぐに食べたりしないわよ……」
美熟女はその初心な反応に気を良くしたのか、小刻みに戦慄く少年の唇を、サテン生地に包まれた人差し指でそろりとなぞった。
「そうね、まずはその辺で、お茶でもしましょうか?」
「それで、利樹君はどうしてこんな時間まで繁華街をウロウロしてたの?」
真夜と名乗った美熟女は、エスプレッソをミルクで濁らせながら、パーカーの両袖を引っ付けてモジモジする少年にそう訊ねた。
「███が10時過ぎて出歩いてると、世の大人はあまり感心しないらしいわよ。私には、咎める気も筋合もないけど」
「それは、その……」
利樹は考えを纏めるようなふりをして、人のまばらなコーヒーショップの中を見渡した。
カウンターにいた18、9の若い女の店員が慌てて視線を逸らし、作業を始めた。どうやら、二人の様子を窺っていたらしい。
二人が向かい合って腰を下ろす壁際の四人掛けの席は、まるでソコだけ他の空間から切り離されたみたいに、店内で異彩を放っている。見た目の年齢的には母子で通りそうではあったが、暖房の効いた室内でなお派手なコートを脱がない年嵩の美女と、やぼったいパーカーを着た可愛らしい少年の間に血の繋がりなどありそうには見えず、数少ない客の誰しもが、二人の様子をそれとなく伺い、聞き耳を立て、不穏な想像か、さもなくばふしだらな妄想を巡らせていた。
「今日は、家に帰りたくないんです」
周囲を気にしながら、利樹は自分の前に置かれたココアを見つめて小声で答えた。
「まあ……お家で、何か嫌なことでもあったのかしら? ママと喧嘩でもした?」
一方で、真夜は周囲の人間など存在していないかのように平然としていた。その泰然自若の態度は、まるでどこかの国の女王様のようでさえある。
「えっと……それは……」
利樹は父親のことを話そうかと一瞬考えたが、自分の家の問題を会ったばかりの他人に打ち明けるみっともなさが、その口をつぐませた。
「言いたくなければいいわ。ただ気になっただけだから」
そう言って、真夜はコーヒーカップに口をつけた。
その素気なさは、利樹には意外だった。年上のおせっかい女の例に倣って、もっと詮索されるだろうと考えていた。
しばしの沈黙。間が持たない気まずさに泳いだ眼が、カチリと音を立てて皿に置かれたコーヒーカップに注がれる。白いカップの縁に濃い色のルージュが痕を残していた。それを目にした瞬間、少年は言い知れぬ興奮に胸が高鳴るのを感じた。そして、瞬間的にその感情をイケナイ物だと分別した。
胸につかえるような劣情をまだ熱いココアで洗い落とし、気分を変えようと自分から話を切り出した。
「えと……こっちからも、聞いていいですか?」
「ええ。構わないわ」
「えっと、その……真夜さんと……」
言いかけてから、利樹はスーツの女性の名前を聞いていなかったことに気が付き語尾を曇らせた。
「泪」
真夜が気だるげに呟く。
「え? ルイ?」
「スーツの娘の名前でしょ? あの娘は泪よ」
「あ、そうですか。ありがとうございます。その、真夜さんと泪さんは、どうして僕を……助けてくれたんですか?」
「どうして? って……そうねえ、ふふ……」
真夜が少年の睫毛の濃い二重の瞳を、じっとのぞき込む。
「それはもちろん。坊やが、可愛かったからよ……」
ゾクリとするほど艶やかな声だった。
「え……」
心臓が強く拍動した。さっき洗い落としたはずのイケナイ気分が、より強くなって胸の衷に立ち返ってきた。どう答えていいかわからず、利樹は咄嗟に俯いた。
「あらあら……耳まで真っ赤にしちゃって……ホントに可愛らしいボクちゃん……食べちゃいたいくらいだわ……」
真夜は机に身を乗り出し、小さな顎を指先で転がすように少年の面を上げさせた。その深い黒の瞳には、サディスティックな光が浮かんでいた。
「そんな……僕……あの、冗談は止して下さい……」
利樹はたまらず顔を背けた。このまま触れられ続けていたら、モヤモヤとした言い知れぬ気分によって、頭がどうにかなってしまいそうに思われた。
「ふふっ……焦っちゃって……それで、利樹君はこれからどうするつもりだったの?」
「え? あ……?」
いきなりの話題転換に、利樹は何を聞かれたのか把握できなかった。
「家には帰らないと言っても、路上で寝るわけじゃないでしょ?」
「あ、ああ、なんだ。そういう……ええと、ホントは、大和……いえ、友人の家にお邪魔するつもりだったんですけど、病気らしくって。だから、ネットカフェにでも泊まろうかなって……」
「ふーん……それじゃ、決まった予定はないのね」
「はい」
「よかった……なら、今夜は私と遊ばない?」
「え……!? 遊ぶって……!」
「うふふ……」
真夜は妖しい微笑を浮かべておもむろに席から立ち上がり、驚きに身を固くする少年の隣に座りなおした。さらに、逃がさないとでも言うように肩に腕を回して、小さな身体を抱き寄せた。
「ふふふ……もちろん、ゲームやお喋りなんかじゃないわ……とっても気持ちのいい、オトナの遊び……」
淫靡な笑みを口元に湛えたまま、美熟女は他の客からは見えないよう、コートの合わせを繰り開いて、その中身を少年に見せつけた。
「えっ……!?」
利樹は言葉を失った。コートの下は、ほとんど裸同然だった。少なくとも胸から上は、黒いフリルレースのブラジャー以外は何も身に着けていないのである。こんな寒い日に、しかもこんな街中で。
「あ、あ……」
「坊やの歳だったら、私が言う意味は、わかるわよね? ほほほほほ……」
問いかけられても利樹はなにも答えられなかった。いや、そればかりか、頭が真っ白になって、何も考えられない状態になっていた。
目の前に迫るのは、むっちりと肉感的で、しかし同時に張りも兼ね備えた、見事なまでの美巨乳。深い谷間を形作る二つの魅惑の果実が、真夜が身動ぎする度に誘惑するように揺れ、肩口に舞う妖しい青い蝶のタトゥーがその悩ましさを何倍にも引き立てていた。
ネットで検索すればアダルト動画などいくらでも見られるこのご時世にあって、利樹は映画か漫画かゲーム画面でしか女の裸を見たことがなかった。そんな純粋培養とも言うべき初心な少年にとって、大人の色香に溢れた美熟女の魔性の肉体は、凶悪なまでに刺激が強すぎたのである。
どうしようも無い黒々とした情欲が湧き上がり。心臓は早鐘を打つ。
血流が股間に集まり、未成熟なモノがズボンの下で急速に猛り始める。
今すぐに、それを取り出して、処理したい衝動に駆られる。友人に教えられ、方法は知っていた。経験も同い年の男子程ではないが、両手足の指で数えられないくらいは。だが、こんな人目に着く場所でそんなこと、絶対にしてはいけない。常識だ。だからといって、今の自分の激情をどうすればいいのか――
惑乱の中で少年は呼吸さえ忘れ、美熟女の腕の中でその蠱惑の情景に見惚れ続けた。
「ふふ、じっと見つめちゃって……ほおら、触りたければ、触っていいのよ……」
呆然自失の利樹少年の手を取り、真夜は自らの胸へと持っていく。
しかし、その白い指先が禁断の肉の果実に触れんというまさにその時、携帯のバイブレーションの鈍い音が響いた。
「あら……? 泪からだわ……ちょっとごめんねボクちゃん……」
真夜はコートを羽織り直し、スマートフォンを取り出した。彼女の手から解放された少年は糸の切れた人形のように、背もたれにぐったりと弛緩した。
「何? ああ、そう。意外に早かったわね。でも、丁度良かったわ、駅の西口に車を回して……あら、気が利くじゃない。ええ、わかったわ。じゃあよろしくね」
短い通話を終えると、真夜は放心状態の少年を強○的に椅子から立ち上がらせた。
「今から車を出してくれるそうよ。5分で着くみたいだから、すぐ出るわよ」
「え……あ……!」
自分の意思とは関わりなくとも、体の動きが少年に意識を取り戻させた。慌てて、自分のカバンを掴みとり、肩にかける。
(ココア、まだ半分残ってたのにな)
美熟女に手を引かれて店の外に連れ出された利樹は、まだはっきりとしない頭でぼんやりとそんな事を考えていた。
駅前の道路に出ると同時に、黒いBMWが二人の前に停車した。
滅多に見られない外国産の高級車から降りてきたのは、先程のスーツの女性だった。
目を丸くする利樹をよそに、泪は慣れた所作で後部座席のドアを開け、恭しく「どうぞ」と乗り込むように指示する。
「ほら、乗りなさい」
真夜が少年を半ば押し込むような形で後部座席に座らせる。
そして、自分も後から乗り込み、彼の小さな肩に馴れ馴れしく手を回した。
「あ……」
もう逃がさないわよ。無言のうちにそう言われたような気がして、利樹は借りてきた猫のように怖々と身を縮めた。
「そんなに緊張しちゃ、ダ・メ。もっと、リラックスなさい坊や……」
「あう……ごめんなさい……」
耳元に唇を寄せて、耳たぶをチロリと舐めながら甘く蕩けるような声で囁きかけられて、緊張が解れるわけがない。美熟女はそれを分かっていながら、少年の反応を愉しんでいるようだった。
「真夜様。少年が怯えています」
運転席に乗り込んだ泪が、シートベルトをしながら言った。
「この子には、少年じゃなくて伊織利樹って名前があるわ。ねえ?」
「あ、はい……」
利樹はおどおどと頷いた。
「さっきも教えたけど、この娘は泪。私の運転手兼秘書みたいなものよ」
「はあ……えと……泪さん……よろしく、お願いします」
「ああ、こちらこそよろしく、伊織君。真夜様、そろそろ出します」
「ええ、お願い」
真夜が答えると泪は車を発進させた。
窓外を流れる景色を横目で眺めながら、利樹は心に兆した違和感に首を傾げた。
それは、泪の態度についてだった。今の泪の口調は先程警官と話をしていた時の気さくさはなく、バックミラー越し見える目元の表情も、氷のように冷たい感じがした。明るいお姉さんではなく、クールなお姉さんといった感じだろうか。
「ふふ、泪の雰囲気が、さっきと全然違って驚いた?」
自分の心を読んだかのような真夜の言葉に、利樹は目を丸くして小さく頷いた。
「あれは演技。普段はこんな感じなの。仏頂面でとっつきにくいかも知れないけど、噛みついたりはしないから安心なさい」
「は、はあ……」
利樹は、再びバックミラーに映る泪の顔を見た。真剣のように凛と冴えた中性的な美形は、鏡越しに目が合った瞬間、気恥ずかしそうに視線を逸らした。
「それで。あの警官はどうだった?」
広々とした車内で鷹揚に足を組み、真夜が泪に訊ねた。
「存外に話の分かる方でしたよ」
「そうじゃないでしょ? 自分だけ愉しんで来たのだから、少しは話を聞かせて頂戴」
「ですがあれは、真夜様がそうしろと……」
「口にして命じた覚えはないわ。それで、何回してあげたの?」
「はぁ……二回です」
渋々と言った様子で泪が答えた。
「手? それとも、口?」
「口です」
「じゃあ、本気だったわけね」
「真夜様をお待たせしてはいけないので」
「ほほほ……あの警官も災難ね……あなたからそんなサービスをしてもらったら、もう一生普通の女じゃ満足できなくなってしまうでしょうに……」
利樹には会話の内容を正確には理解できなかった。だが、二人の女がとてもいやらしい、イケナイことを語り合っているのだということは、ハッキリと感じていた。
「あの……それで……これから、僕はどこに……」
「ふふ、分かってるでしょ? とってもイイトコロよ……そこで、たっぷりと……愉しませてあ・げ・る……」
耳元で囁かれた声と、貪婪な舌なめずりの音が、少年の背筋に悪寒を走らせた。ふしだらな期待が胸の衷で膨れ上がる。それと同時に、逃げ出したい思いも。だが、もうどこにも逃げ場などない。肉食獣の檻に閉じ込められた兎のような心境の利樹を乗せたまま、車は街の中心地を抜け、夜の高速道路に入った。
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