2021年 みくろお誕生日祝いショートストーリー
「みくろの瞳。ハチロクの瞳」 進行豹
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「ねぇ見てください、おねえさま!」
これが何度目でございましょう。
みくろのとてもはしゃいだ声が、冬空高く溶けていきます。
「ムフロン、かっこいいですよね! 大きな大きな角があるのが、オスムフロンです」
「かっこういい……」
奇妙な名前で、黒みがかった茶色をしていて、角はまるで悪魔のようです。
わたくしの感覚上は、かっこいいより恐ろしいの方が強いのですが──
「ええ。とても精悍で、野性味に溢れておりますね。とても強そうな動物です」
「強いかどうかは、みくろにはちょっとわからないです。
ムフロン、だって羊さんの仲間ですから」
「羊!?」
回路内、ぽん、ときぐるみを着たれいなのイメエジが沸き起こります。
「って、あの、真っ白でふわふわでめぇめぇとなく、ひつじさんですか?」
「そうなんです、おねえさま。ムフロンが捕まえられて家畜化されて、少しずつ羊さんになっていった──って、そんな学説もあるらしいんです」
「まぁまぁまぁ、そうなのですね」
言われてみると……ああ、左様ですね。横長の瞳が羊とにているような気がします。
けれどもやはり、全体の印象で捉えてしまうと……
「おなじ仲間であるにせよ、随分と違うものなのですね」
「うふふっ、みくろたち、レイルロオドとおんなじなのかもしれませんね」
「わたくしたちと?」
「はい。例えばおんなじ旧帝鉄のレイルロオドだって、
D51 840のランさんみたいにスラっとしてる方もいらっしゃいますし、
すずしろさんみたいに可憐な方もいらっしゃいますから」
「ああ」
例えてもらって、ピンときます。
レイルロオドに全く興味も知識も無いものには、ランさんとすずしろさんの共通点はわからない。
「でしたら教えてください。みくろ。
ムフロンと羊の……例えばどのような点が、同じ種であるという特徴なのですか」
「はい! 喜んで、おねえさま!
あのですね、まずは蹄を見てください」
ムフロンを見て、羊を見て。ヤギを見て。
偶蹄目ウシ科の動物の特徴と、ヒツジ属、ヤギ属の違いを学びます。
「あとはあごヒゲ。あごヒゲがあるのがヤギの仲間で、羊の仲間にはないことが多いです。
しっぽが下向きか、上むきか。角が渦をまいてるか、まいてないか。あごひげがないかあるか。
そこをチェックすれば、羊の仲間かヤギの仲間かは、見分けやすいかなって、みくろは思います」
それにしてもみくろの説明の、なんと流暢で饒舌すぎることでしょう!
噂に聞く“蟲姫”りいこさんときっと、さぞや仲良くなれましょう。
「……たいへん勉強になりました」
いささか過剰にすぎましたけれど、知識を得れば、見える世界がかわります。
「なるほど、羊とムフロンは、そのように見れば瓜二つの生き物たちなのですね」
「なんです! えへへっ、みくろ、おねえさまにムフロンのこと知ってもらえて、嬉しいです!」
ああ、なんという笑顔でしょう。
邪気無く、なんの計算もない──ある面では、れいなよりさらに無垢かもしれない、そんな笑顔。
「みくろは、本当に動物のことが大好きなのですね」
「はい! 動物園で仲良くしてたら、どんどん大好きになっちゃいました」
「単純接触効果というヤツですね。双鉄様に教えていただいたことがございます」
「それって、どんなことですか?」
「繰り返し接していくものを、どんどん好きになっていくこと。そのようにわたくしは教わりました」
「わ! すごいですね。みくろ、単純接触効果? とっても受けやすいんだと思います」
うふふと、はにかみも幸せそうです。
「だって今日、一緒に雄武田に来てもらえて! おねえさまのこと、一秒ごとにどんどんもっと、大好きになっちゃってますから」
「まぁまぁ、なんて光栄なことでしょう」
本当に、なんとあどけないこと。
“好き”という言葉の重みを、みくろはきっと、未だ理解していないのでしょう。
「……とてもしあわせなことですね」
「はい! みくろ、とってもしあわせです!」
弾むように、踊るように、みくろの足が動きます。
かつての住処の園内を、わたくしに案内してくれながら──あら。
「そこ──その空間は、なんでしょう?
かなりのスペエスがぽかりとあいておりますが」
「あ」
みくろの顔から笑みが消えます。
少し、困ったような顔。
「ああ、もしかして……昔みくろがかわいがっていた動物の檻かなにかが」
「いいえ、そうじゃなくってええと──。
ここ、みくろの38696が静態保存されてた場所なんです」
「まぁ」
豊河の──こはるさんの58623から無数の部品提供を受け、動態復元し、御一夜鉄道の一員となった、38696。
あれから何年……随分たったものですけれども。
「移転後ずっと、ここは空き地のままなのですか?」
「はい。あの、えっと──みんなが、いってくれてるんです。
もしも御一夜でも走れなくなっちゃう日が来たら、いつでも帰ってきていいんだぞ、って」
「ああ」
感じます。きっと今が、その時なのだと。
みくろが必死に隠していること。
ですのでわたくしもそれを重んじ、気づかぬフリを続けてきたこと。
「ねぇ、みくろ」
「あの! おねえさま!!!」
「!?」
なぜでしょう。みくろの声は、切羽詰まってしまっています。
「どうしました? いきなりそんな」
「あの、みくろ。おねえさまが伝えてくださりたいこと、わかってるような気がします。
おねえさまがくださるものなら、なんでもみくろは受け取りたいです! けど」
「けど?」
「いまは……いまはまだ、みくろ、準備がたりてないです。
みくろ、だって、これからもっともっと頑張りたいから──
いまもし、みくろがおねえさまに、そういう言葉をかけられちゃったら……」
そういう言葉。
感謝と、謝罪と……それから何を、わたくしはみくろに伝えたいのでしょう。
それがなにかを整理しきれず、さらにみくろが「今はまだ」というのでしたら……伝えることは、押し付けです。
「わかりました、みくろ」
「あ」
「でしたら今は、別の言葉を送らせてください。
とても素直にこころに浮かぶ、ただそれだけの”今”の想いを」
共感をわずかに広げます。
みくろの頬が赤らんで、こくり、頷きがかえります。
「みくろ、あなたは美しい。
乗務に邁進しているときも、動物園にはしゃぎまわっていた今日も」
「はうっ」
「一番最初に出会ったときには、わたくし、戸惑ってしまっておりました。
色の異なる左右の瞳を、見せまい見せまいとするものですから」
「……」
ふっとみくろが懐かしむように笑います。
そうしてまっすぐ──両目でまっすぐ──やわらかにわたくしを見つめます。
「──ええ。本当に美しい。
溢れる喜びだけでなく、マスターを得て自信にも満ちたいまの貴方は。
以前にも増して、とても強く。そして美しくなりました」
「!」
みくろの笑顔が弾けます。
どこまでも無垢で純粋な。
「嬉しいです! ありがとうございます、おねえさま!」
不意に、瞳が熱くなります。
片方だけが、泣き出しそうに、熱くなります。
だから、思い切り笑います。
みくろがそうしているのとまったくおんなじに。
「みくろ。あなたがわたくしの妹であってくれて、とても嬉しい。
あなたは、わたくしの誇りです」
「っ!!!」
「そうして、ね? みくろ」
照れることなく伝えましょう。
だって今日は、一年に一度の日なのですから。
「お誕生日、おめでとう」
わたくしたちは、被造物です。
わかっていても、言葉が魂から溢れます。
「──うまれてきてくれて、ありがとう」
;おしまい