有坂総一郎 2024/05/20 22:00

ベルトコンベアから始まる動力と鉄の話

原理はごく簡単で効果的な発明であるベルトコンベア、あらゆる産業に用いれば輸送効率がそれだけで跳ね上がるが、初期投資が安くて済むシステム。

原理が簡単であるが故に、戦国時代にスコップ/シャベルと合わせて持ち込めば、それだけで治水工事も築城工事も効率化出来る。

ぶっちゃけ、ゴムベルトなんて不要で、竹を4つに割って、縄や紐で結べば良い。耐久度は劣るかも知れないが、その場での修理も容易だ。

だが、一つ問題がある。動力だ。

先端の誘導輪に動力を用いる必要があるが、一定速度を保つ必要があり、人力はあまり適当ではないだろう。やってやれないことはないが、重量物である土砂を延々と輸送させるにはとてもではないが、出力が足らないと思う。

では、水力か?と考えるが、ベルトコンベアと並行した水路を造るのも本末転倒すぎて訳わからんことになるから、工場みたいな恒久的な設備でもない限り水力は適当ではない。

では、風力か?と考えるが、水路造るよりは手間がかからないが、いくつも風車を造る必要が出てくる事を考えるとこれも効率的には思えない。

となると、結局、人力なのかという話になってしまう。まぁ、これなら、人海戦術で対応すれば良いだけだから、もっこ担ぐ代わりに動力装置(自転車と同じ仕組み)を漕いでもらって一定時間毎に交代制にすれば水車や風車を造るよりも現実的になる。

だが、これでは、もっこ担ぐ必要がなくなっているだけでそこまで輸送効率化に役立っているとは思えないんだよなと。いや、まぁ、単位時間あたりの土砂・石材運搬能力で言えば大分違うんだろうけれども、目に見えるほど違うかと言えばわかりづらいなと。運搬距離によっては明らかに不適な場合もある。

となると、やはり蒸気機関かという話になるんだが・・・・・・。

ボイラーとピストンシリンダーさえ作れたら蒸気機関はそれほど難易度が高いわけじゃない。何も20世紀型の蒸気機関車と同じ水準まで作る必要は無いんだ。そこまでいけば効率は大分違うけれど、あれはあれで結構ややこしいから、もう少し単純化して最低でもワット機関程度で妥協する。

けれど、こうすると蒸気機関とその燃料という初期投資が上乗せされてしまう。

ただ、石垣築造なんかは効率よくなるんだよね。土砂に比べて石材は重いから。まぁ、そもそもの話として、江戸城や大坂城みたいに巨石を石垣に組み込む必要は無いのだけれども、江戸期の切り込みはぎを最初から適用すればレンガ数個分の大きさと重さくらいになる。というわけで、石切場で最初から加工して出荷する方向にすれば良い。

となると、今度は出力過剰になる気もするが、そこは長距離ベルトコンベアにして川岸などの港湾施設から築城現場まで一気に1-2km程度を結ぶことで蒸気機関の設置数を減らすという感じになるだろうか?

あとは燃料は燃えれば何でも良いのだけれども、かと言って木材を使うと建材などに支障が出るから、結局石炭の採掘が必要になる。

ベルトコンベアが最初から使えるなら、坑道採掘ではなく、露天採掘にしてしまえば良くないか?と考える。まぁ、無駄にボタ山を築くことになるけれど、海岸の埋め立てとか、築堤に活用すれば良いと割り切ればどうなんだろうか?

となると、運用出来る戦国大名が限られるから、その存在がかなりチート化するなと思う。

実際、蒸気機関を安定運用することが出来るとすれば、西日本だと大内、大友、龍造寺、あと採掘規模が小さくなるが尼子、東日本が上杉長尾、相馬、佐竹、採掘規模が小さくなるが最上、伊達と言ったところか。

あとは蒸気機関を支える鉄。こればっかりは出雲尼子に軍配が上がる。少なくとも当時の流通経路から考えると大規模生産が行われ、他地域に積極的に出荷出来ていたのは出雲とその周辺地域とほぼ局限出来る。

戦国時代の製鉄は資料があるわけでもないから学会などでも所謂通説が罷り通っていて統計としては信憑性もなく、それが故に輸入鉄で需要を賄っていたという話も出ている。けれど、仮に輸入鉄で需要を満たすとすれば、圧倒的に西日本、特に大内や大友、龍造寺や松浦党が地政学的に強いわけだが、特に鉄の資源独占で利益を得たという話を聞いたことがない。

島津に関しては種子島銃の件もあるから、南蛮交易で輸入鉄を相当量手に入れていた可能性はあるが、需要に応じた支払い能力や輸出物があるかと言えば疑問符が付く。

戦国時代とは離れてしまうが、別資料では秋田久保田藩が南部藩から陸路で入手した鉄製品が文化年間において年350トンあったというが、当時、秋田久保田藩は日本海航路における流通や自前生産(鉄山7カ所保有)でその需要は年500トン以上はあったと推測出来る。また、当時の秋田久保田藩の人口は60万程度であるから、これから推算すると文化年間の日本国内の総需要は25000トンに上るため、通説の年10000トンの生産量ではその需要を満たせない。よって、通説の10000トンという話は流通経路で確認出来ただけの数量と言うべきなのだろう。実際、明治初期の鉄製品の総生産量は約20000トンであり、数年後に輸入鉄も年間30000トン近くになる時期から考えて、やはり、江戸時代全体で最低でも約20000-25000トン規模の総需要は平均してあったと言えるだろう。これを満たすには流石に通説の10000トン規模では無理だから最低でも15000-20000トン規模と考えるべきだろう。

ある程度自前で生産出来るとしても、結局は鉄資源の供給元は中国地方と東北地方に限られるという事実に変化はない。

資金力があれば、確かに織田家みたいなパワープレイは出来るかも知れないが、それだとて、完全銃武装みたいなことは出来ないし、兵農分離も一定程度までしか出来ないから、そこまでチートなことは無理だなと思い至る。そう思うと楽市楽座で資金力を付けた織田家は先進的だと思うし、資金力があれば、御用商人を動員して資源や兵装を整えるのは難しくはないと言うことになるんだろう。

けれど、地方大名では、資源外交が基礎になるなと思う。楽市楽座なんて、仮にやれても京都に近い畿内や濃尾勢まで。あとは日本海航路の出雲(宇龍浦、美保関)、小浜、直江津、酒田、十三湊くらいなもんだろう。

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