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2022年 03月の記事 (24)

有坂総一郎 2022/03/31 07:00

35トン級戦車の検証<2>

前述でまずは戦車の心臓たる発動機に対する問題点を示した。

ディーゼル発動機では時間的都合で間に合わない、ガソリン発動機では液冷式では信頼性に問題があり、空冷式では航空機用発動機との兼ね合い、そして燃料問題を引き起こすと言うことが解るだろう。

「このはと」作中ではディーゼル発動機の問題を考え、史実よりも早く統制型発動機への取り組みを示唆しているが、それでもすぐになんとかなる問題でも無い。

よって、現実的には米帝のM3/M4中戦車同様に空冷星型500馬力台の発動機を組み込むことが常識的な判断と言えるだろう。あくまで、ここでは常識的なという前置きをする。常識的な判断とはそれが正しいという意味ではないからだ。それは先述した通りであり、別の問題を引き起こすからだ。

次に中島飛行機の発動機総生産数/航空機総生産数について述べることにする。各形式含めての年産を下記に示す。

38年 1548基 987機
39年 2538基 1177機
40年 3144基 1081機
41年 3926基 1085機
42年 4889基 2788機
43年 9558基 5685機
44年 13926基 7943機
45年 3981基 2275機

次に三菱の発動機総生産数について述べることにする。各形式含めての年産を下記に示す。
※三菱の場合、少数生産の試作分などは含まず主力制式発動機の数のみ計数。
※肝心の三菱の航空機総生産数が資料を紛失したことで列記出来ないが、概ね、中島の半分から7割程度の数字であると概算出来たはずだ。

38年 622基
39年 2783基
40年 4519基
41年 5091基
42年 7941基
43年 13977基
44年 10708基
45年 2770基

これを見る限り、発動機生産は明らかに三菱に分がある。44年こそ数字が凹んでいるが、これは地震の影響が大きいと推察される。

だが、概ね発動機と航空機は3:1~2:1の関係に収まる。これは双発機の分が含まれるからだが、自然減の分などで消費される発動機も含まれているから戦争後期の分はそういった消費交換分を多く含まれることになる。

よって、これを見る限り、戦車に回せる分の発動機を別枠で作る余裕はないように思える。

帝国陸軍の1個戦車連隊の定数は中戦車40両/中戦車30両+軽戦車10両/軽戦車40両という編成が一般的であるようだ。

では、相模陸軍造兵廠及び三菱/日立の工場での戦車総生産数を概ね60両程度が月産数の限界であると推定される。これはチヘとチヌの生産数から推定した数字であるが、これらとホニなどの分を含むとしても多く見積もって70両程度ではないだろうか。

あくまでこれは最大限に見積もっての数字であるため、35トン級戦車を考えると月産数は多く見積もって40両程度と推測する。

そうなると毎月1個戦車連隊相当の量産は可能であるということになる。

仮に中島の寿もしくは光を統制型発動機から転換生産して東京自動車工業(ヂーゼル自動車工業)、三菱重工、池貝自動車、日立製作所、新潟鉄工所、興亜重工業、昭和内燃機、羽田精機などの各企業に行わせるとするとしてもだが、各社共に統制型発動機の生産で手一杯であろうから、工場増設ないし転換生産のためだけの企業を設立する必要があるかも知れない。

工場増設の場合、戦車製造は一般的に帝都近郊であるから立地と規模を考えて三菱・ヂーゼル・日立が適当という判断になるだろうか。中島本体からの部品供給を考えてもそういう判断になると推測する。しかし、そう考えると明らかに赤字覚悟の経営の専業企業なんて戦時下でないと絶対無理だろうなぁ。進んで引き受けるなんて思えないのだが・・・・・・。

まぁ、その辺は軍のゴリ押しでそうなったと思えばそこまでか。御国へのご奉公を厭うなど売国奴ってヤツだろう。

しかし、ドイツはティーゲルを月産100両とか平気で生産して、その上でⅣ号戦車やパンターを数百両単位で生産しているのだから驚きだと思うが、我が帝国の両隣にはもっとイカレたヤツがいるのだから泣きたくなる。

思うのだが、これ、35トン戦車なんて真面目に作って配備しようと思うと双発爆撃機を整理していかないととてもじゃないが賄えないと思う。重爆だの軽爆だのと区分して運用するのは無駄でしかないから重爆に統合整理して近接支援は九九式襲撃機みたいな機種に任せるか単発戦闘機にロケット弾でも装備してばら撒くとかそういうのでないととてもじゃないが予算的にも生産余力も無理だとしか思えない。

仮に寿/光を転換生産ないし工場増設としない場合、川崎のBMW-6系のハ9を増産することになると思われるが、その場合でも、川崎の発動機工場にハ9とハ40の2種類の生産ラインが並行することとなる。そうなるとハ40の生産数に影響を与えることとなるのは明白で、史実よりも三式戦闘機飛燕の首無し問題が早まる可能性がある。

これはハ40の問題もそうであるが、ハ9の問題が並行して発生するわけで、生産阻害だけでなく、改善などに手間を取られる可能性が出てくることを意味している。まぁ、その場合は川崎の土井武夫技師が五式戦闘機の前倒しを考えるかも知れないが。まぁ、三式戦の空冷化の提案は43年の時点で行われているから、問題の早期解決に繋がるのであれば、それは前向きに捉えることも出来るかも知れないが、もっともそれは後世の人間の視点であり、当事者にとっては頭を抱える問題であり正解であるかどうか解らないのだが。

少なくとも、何れの発動機を選択するにしても航空機用発動機生産能力と切っても切れない関係があると認識して当たる必要があるだろう。

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有坂総一郎 2022/03/30 07:00

35トン級戦車の検証<1>

史実において35トン級戦車が39年時点で開発される可能性の土壌として前述の通り示した通りだが、その実現には多くの問題が山積している。

陸軍当局、用兵側がいくら熱望しようとも軍政側には予算の問題、技術/工廠側では資材や技術的な問題を抱えている。

仮に軍政側の予算は支那事変予算で解決したとするにしても――実際に九七式中戦車チハの増産は支那事変による陸軍予算の拡大というそれによって解決している――技術側の問題は、おいそれとは解決しない。

まず、35トン級のサイズが結果的に必要だという見解が出たとしての話だが、39年時点で活用出来る戦車用の発動機は三菱ザウラー式空冷12気筒200馬力V型ディーゼルが尤も強力なものであった。しかし、これには機械的信頼性や問題があったことから実際には公称値で実勢値170馬力であり、実働では140馬力へ制限されていたという。

よって、チハに用いる分としては制限付きであろうと一応の性能を担保出来たとしても、それとて15トン級として運用する分には問題が無いという程度のことであると認識せざるを得ない。

実際に、一式中戦車チヘにおいては統制型一〇〇式発動機空冷12気筒240馬力へ置き換わっている。ちなみに排気量/シリンダーは両者ともに21.7L/120mm×160mmである。

この統制型発動機は後に試製であるが過給機付12気筒500馬力/37.7L(145mm×190mm)へと進化するのであるが残念ながら終戦時には間に合っていない。

しかし、間に合っていないといえども、統制型発動機は大きな特徴を有しており、それは間違いなく大日本帝国という国情に即しているモノであって、少なくとも開発の方向性そのものは間違ってはいない。むしろ、それがなければ戦時中の車両製造と運用に大きく問題を抱えたことになる。

余人はそれを欠陥だという。または、国力の低さを表すと誹ることもあるだろう。

だが、それは一方からの見方でしかない。

国情に沿った開発を進めることは何ら間違ったモノでもなく、まして恥じ入るモノでも何でも無いのだ。

というわけで、まずは帝国の発動機というモノを理解しないといけない。

さて、上述の統制型発動機、これがまずはキーワードとなるわけだが、その始まりにもやはり戦車の父であるあの男が関与する。そう、我らが原乙未生中将閣下であらせられる。当時は中佐であったが、彼によって帝国の戦車開発はリードされているのは言うまでも無いが、その根幹を成す発動機にも影響力を発揮しているのだ。

恐らくはという前置きをしておきたいが、彼の心中には三菱ザウラー式空冷12気筒200馬力V型ディーゼルの性能不足が大きく枷になっていたのではないかと思う。

原の先見の明は、チハが新砲塔チハ、そしてチヘを経てチヌへと進化発展をする上で大きな役割を担っている。それどころか、ホイ、ホニの各系統のシャーシもチハのそれを基礎としている。故に、全ての戦車の母と言えるほどにチハを絶妙な具合に設計したことを考えると唯一の心残りになるとすればその心臓たる発動機だろうと考える。

だからこそ、帝国の発動機製造能力の強化と供給能力拡大を狙って共通規格と部品共用を狙い生産性向上を目的に統制発動機プロジェクトを推進したのだろうと推察する。

その考え方は間違いなく時勢に合ったものであり、帝国には各社バラバラに似たような性能の製品を製造している余力など無かった。それゆえ、ヂーゼル自動車工業のDA系ディーゼル発動機を基礎として開発を進めることを指示したのである。

このDA系発動機は大きな特徴として予燃焼室式を採用しており、また、特にDA40型は排気量5,100cc、出力85馬力と当時のディーゼルエンジンの中では優秀な性能を示し、その技術を東京自動車工業、三菱重工、池貝自動車、日立製作所、新潟鉄工所、興亜重工業、昭和内燃機、羽田精機などの各企業へ開示され生産を担当することとなったのだ。

また、この統一規格事業を円滑にし、また無駄な投資を抑えつつ技術的にも重要な部品を供給させるために東京自動車工業、三菱重工、池貝自動車、神戸製鋼、新潟鉄工所など各社の共同出資により39年にヂーゼル機器が設立された。このヂーゼル機器の役割は非常に重要であった。

同社でライセンス生産されたドイツのボッシュ社の燃料噴射装置が各社の統制型発動機の多くに採用されることでその性能を引き出すと共に共通規格をより徹底することへ繋がるのだが、そこには事情が隠されていた。統制型発動機の制定以前には各社で多種多様な燃料噴射装置が使用され共通化や調達の問題を抱えていた。さらには性能・品質面でも問題があったため、ヂーゼル機器の設立は統制型発動機の普及、性能・品質維持にあたり重要であったのだ。

そして規格化された統制型発動機は軍用民生用と多種の規格が目的別に設定されていたが、基本的にはボア、ストローク、燃焼室形式を統一した一種のモジュラー構造を取っていた。また、空冷と液冷も揃っており、主に軍用車両には空冷が用いられた。逆に民生用では液冷式が用いられている。

この統一規格で製造された統制発動機はその制定当時は十分にその役割を果たしていたが、残念ながら、年が変わる度に非力となっていくのが明白となり、各社共に馬力強化に血道を上げることになるのだ。

危機感を抱いた三菱が開発したのが統制型四式発動機であり、気筒を大型化して排気量を37.7Lと増やし、整備性と冷却効率、信頼性を追求して設計された。これは四式中戦車チトへの搭載型予定されたが、過給機付のモデルが更に改設計され、最大500馬力を発揮する予定であった。

陸軍の依頼を受けた三菱重工によって42年より重戦車用として三菱AJディーゼル発動機が開発中であった。試作された単気筒(排気量3.82L)の試験は成功したものの、V型12気筒の本体は未完成の状態で終戦を迎えている。三菱AJディーゼル発動機の完成予定時の諸元は、空冷V型12気筒500馬力、160mm×190mm/45.84Lであったという。これは統制型発動機に含まれるかは判断が分かれるものであると言うが、延長線の技術ではないかと推測される。

ここまで書くと解ると思うが、馬力不足というのは時が経つにつれて解消しつつあることが解る。

だが、そこでT-34ショックに立ち戻って欲しいのだが、この化け物に搭載されていた化け物の心臓は最初からハリコフ機関車工場 V-2 液冷V型12気筒500馬力のディーゼル発動機である。

バルバロッサ作戦時のⅣ号戦車E型に搭載されている発動機は、マイバッハ HL 120 TRM 液冷V型12気筒320馬力のガソリン発動機であることから、比較してみてもいかれているとしか思えない馬力を発揮している。

しかし、T-34だけがこのV-2という化け物発動機を積んでいるかと言えば、そうでもなく、KV-1なども積んでいること、また他のソ連戦車の多くが30年代後半時点で概ね400馬力オーバーのガソリン/ディーゼル発動機を積んでいることから、ソ連の視点ではそれほど見るべき点はないのかも知れない。

だが、大英帝国のクルセイダー巡航戦車やマチルダⅡ歩兵戦車など39-42年に登場しているそれらも概ねガソリン300馬力台であることから、日本だけが特別に遅れていたという考え方は出来ないと思える。

日本の場合、ガソリン発動機ということを考えると実績のあるBMV系発動機などをお下がりとして使う分には問題は無かったし、既に実績もある。それだけ言えば、デチューンして300~500馬力で運用することは問題は無いのだ。航空機で運用する分には問題があっても、デチューンして使う分にはある程度の余裕が生まれることもあるのだろう。

だが、ディーゼル発動機については少なくともソ連に対しては二歩後れを取っていると言わざるを得ないが、そもそも戦車にディーゼル発動機というそれの元祖ないし本家は帝国であるという主張をして存在感をアピールしておく必要があるだろう。

さて、余談が過ぎた。

そこを踏まえてだが、仮に35トン級戦車を39年時点で開発を進めることを前提とした場合、統制発動機を除外せざるを得ない。理由は馬力が足りないの一言に尽きる。

まぁ、歩兵戦車として速度を求めないというのであれば、25km/h程度で火力優先というそれならば、マチルダⅡやバレンタインのような20~25トン台、チャーチルのような30トン台でも可能であろう。その程度であれば統制型一〇〇式発動機の240馬力でも事足りるのである。

しかし、それは歩兵戦車として望むならばと言う前提条件だ。

我が帝国陸軍の望む戦車とはそういったモノだろうか?

否、その様なものではない。武田の騎馬軍団、伊達の騎馬鉄砲隊、こういったものが我らの求めるモノではないだろうか?

であるならば、馬力だ!35トンもの重量をモノともしない大馬力こそが相応しい。

大馬力を求めるならば、そこにあるではないか、そうだ、信頼と実績のハ9があるじゃないか。まぁ、信頼というのは言い過ぎであるのは諸兄の知っての通りであるが、それで不満があるのであれば、ローレンW型/九一式W型というのはどうだろうか?ただ、これは海軍御用の発動機であるから適当とは言い難いだろう。他の陸軍御用の航空機用発動機のお下がりだとハ2があるが、これは三菱のイスパノ系液冷発動機になるが、これも非常に信頼世に疑問符が付くのである。

となると、空冷星型発動機を持ってくるしかないが、そうなると中島寿が適当になるだろう。これならば500馬力を発揮するし、ジュピター譲りの安定した信頼性に定評がある。また、馬力に不安があるというのであれば、少々信頼性に疑問符が付くが一応は使いこなせている中島光を使うという手がある。これならばデチューンの上で500馬力にするのであればどうだろうか?

ただ、これは現行の航空機発動機を横取りするという問題点を発生させることになるわけで、また、中島という航空機メーカーに現行発動機と型落ち発動機の並行生産を行わせるという問題も発生させることになる。

そして、さらなる問題として、ガソリンを扱うことで折角ディーゼルという低燃費発動機を八九式軽戦車乙で採用して今に至るというのに、兵站を圧迫させ、同時に航空機用燃料をも横取りしてしまう結果を生んでしまうのだ。

さぁ、これをどうやりくりするかという話になる。

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有坂総一郎 2022/03/29 07:00

35トン級戦車の可能性

さて、日本戦車最弱伝説という不名誉なそれが世間に広がっているけれど、その原因は前述の通りT-34ショックにあると書いた通りだ。

突然変異で出て来たT-34なんぞに対応した戦車を造っているわけではないのだから当然のことであるが、化け物退治用に進化したドイツ、ドイツの怪物退治に登場した英国面なんかと渡り合えるわけがないのだ。

M4?あぁ、あれは別格、それを語ると話がややこしくなるから米帝は埒外とする。

欧州戦線の戦車と日本の戦車とだけを比較する。基本的に日本の場合、主敵はソ連であって米帝ではない。気に掛けるだけ馬鹿らしいから相手にしない。したところで、”ややこしい”話で頭がどうにかなりそうだから気にしない。

というか、30年代の内は、米帝は戦車の後進国でしかない。日本が米帝なんぞに見習うモノなんてない。そういうわけで、日本が気にしないといけないのは主敵ソ連と戦車発祥の国である大英帝国や独仏である。まずはそこが大事であると改めて言っておこう。米帝は30年代時点では格下なのである。

36年時点での日本戦車が当面の敵として開発を進めるに当たってはソ連のBT系列であり、これについては十分な対抗能力があったことをノモンハンでは実証している。ただし、問題はチハの開発の主軸は歩兵直協であり、大英帝国で言えば歩兵戦車の役割であった。故に、榴弾や徹甲榴弾が基本であるため、徹甲弾に比べると貫徹力に劣るのは仕方が無いことだった。また、榴弾などを用いることから短砲身を望まれたことも影響している。

それ故に戦訓として高初速/長砲身を望まれ、対戦車用として一式四十七粍戦車砲が開発され、また、次期中戦車としてチト原型が構想され試製五十七粍戦車砲<新>が開発されたのである。

実際に一式四十七粍戦車砲は500mで50~70mm、1000mで30~50mm(装甲傾斜によって前後する)という貫徹能力を持ち、前述の様にⅣ号戦車E型が装備する75mm/L24 KwK 37の500m:39mm/1,000m:35mmと比較しても遜色ない性能を有している。

よって、独ソ戦開戦時点の41年6月時点もしくはT-34対策が進む42年春の時点において、戦車砲の性能としては互角であったと言えるだろう。もっとも、既に量産体制であるかこれから量産するかの違いはあるけれども。

つまり、この時点で日本の戦車が最弱という論理は破綻するわけだ。

しかし、事態は流動的であり、進行するものであり、長砲身47mm砲で短砲身75mm砲と互角な性能を示している頃にはソ連が長砲身76mm砲を装備したT-34を生み出し、太平洋で戦端が開かれた頃に化け物として牙を剥き始めたのである。

そう、この時点で一歩後れを取ってしまったのである。

独ソ共に陸軍国であり、戦車の殴り合いを繰り返す関係にあるが、日本にその戦訓や情報が到達する頃には日本の主敵はソ連ではなく米帝に切り替わっていた。

その時点で相手する存在は敵艦隊や航空機であり、戦車ではなかった。研究開発こそ継続しているが、東條内閣の戦争指導においては艦艇建造、商船建造、航空機生産が優先とされたことで当然、資材は優先的に航空機に配分され、既存の戦車生産も削られることとなる。

これが欧州と日本の違いを更に明確にしてしまう。

そこにM4が太平洋戦域で投入され、ソ連戦車ではなくM4への対抗を求められることとなったわけだ。開発中のチトが間に合うはずもなく、急遽チヌが登板するが、その頃には制海権を失い本土決戦へと傾けるしかなかったのだ。

当初の目論見から独ソ戦、予定にない日米開戦と帝国陸軍の戦車開発は翻弄されたことで、出番を失ったが故に不名誉な扱いを受ける結果となったのは非常に悔しいものであり、正当な評価を受けることなく分不相応な相手との対戦でのスコアを理由に最弱とされたことは不当であると言わざるを得ない。

では、日本がドイツと同様に戦車戦力を進化させ得る土壌があったとしたらどうだろうか?

少なくともそういった事態は何度かあったと思われる。

例えば、支那事変において何かの間違いでマチルダⅠと遭遇し、60mmの装甲を打ち破る必要性に直面したとしたら?

この場合、上海や天津などの租界に大英帝国が展開した植民地警備用の移動トーチカとしてマチルダⅠを運用していたものと偶発戦闘になったという可能性や、蒋介石の国府軍が何らかの取引で手に入れていてゼークトラインなどに配備していたという可能性があるだろう。

そうなった場合はどうだろうか?

私はその時点で日本の戦車開発は75~88mm級の高射砲などを転用したそれが用いられると考える。突貫工事でホニⅠ相当のそれをでっち上げて急場をしのぎ、それから試製ナトやチリへと進化する方向性があると思う。

少なくともその時点で50mm前後の相対的に中途半端な口径ではなく、75mm以上の大口径へと選択を余儀なくされるだろう。

次の可能性はノモンハンの時点でSMK重戦車などに遭遇し、歯が立たない状態に陥るというものだ。

この場合も同様で60mm以上の装甲を撃破可能なそれを選択せざるを得ない。よって、マチルダⅠと同様に長砲身47/57mmを経ずして75/88mm級へと一足飛びに進化すると言えるだろう。特にこの場合、史実同様にいくらかの小競り合いを経ての停戦に合意した後に最初からチリ相当の戦車開発を決断する可能性が高いと考えられる。

チリ相当の場合、統制発動機の馬力では足りないことは明白であり、ディーゼルからガソリン駆動へと回帰することになるが、時代遅れになりつつあるハ9(BMW系液冷V型発動機)などをデチューンする形で搭載し馬力不足を解消すると考えられるが、中島の寿系空冷星型発動機などを採用する可能性は別途検証の余地があるだろう。

このチリ相当の場合、九五式重戦車の経験もあることで多少の加減をしつつ30~35トン程度を目処として設計を行うことになるだろうと推測はしている。いずれにしても20トン台のサイズでは適当な性能を目指すのは難しいだろう。

なぜ、20トン級を飛ばすのかと疑問が浮かぶかも知れない。ドイツのⅣ号戦車が25トン級であるのにそれを飛ばす理由が分からないと批判が出るかも知れない。

だが、よく考えて欲しい。30トン級であるチトの装甲とT-34の戦車砲の貫通性能をを以下に示しているからご覧じろ。

砲塔
 前面75mm
 側面・後面50mm
車体
 前面75mm
 側面25〜35mm
 後面50mm
 上面20mm

T-34 76.2mm L-11
 500m:60mm/1,000m:50mm AP
 500m:62mm/1,000m:56mm APHE

砲塔や車体の前面なら兎も角、側面など全く足りていないことが解るだろう。これが30トン戦車のそれであるが、25トン級のⅣ号戦車ですらほぼ同等であることを考えても不足していることが解るというモノ。

となれば、35トン級のチリはどうか?

砲塔
 前面75 mm
 側面35~50 mm
 後面50 mm
 上面20 mm
車体
 前面75 mm
 側面25~50 mm
 後面50 mm
 上面20 mm
 下面12 mm

これでギリギリ耐えうる装甲性能と言うことになる。

無論、英独ソの戦車に比べて洗練されているとは言い難いかも知れないが、少なくとも最低限度がこの程度であると言うことが解るだろう。

また、九五式重戦車が25トン級として既に開発済みであり、それを基礎とすることになるであろうと推測され、その性能の不十分さを解消するに当たっても最低でも30トン、実質35トンと発展させるであろう土壌は整っている。

また、その重量を支えるためにハ9系発動機の採用事例があることから、ここを研究基礎としていくであろうことは容易に想定出来る。

ただし、いずれにしても実戦投入が可能である時期を算定するとすれば、概ね43年後半から44年前半が関の山となりそうだと予測せざるを得ない。

しかし、幸いにして、ノモンハンの頃合であれば、諜報機関でお馴染みの岩畔豪雄大佐が戦車研究委員会の構成員であり、また軍務局軍事課課長の地位にあって機密費を用いることのできる立場にあった。

また戦車研究委員会の場でも、岩畔大佐は軽い戦車(※従来の快速戦車)を多量に揃える当時の整備方針に疑問を抱いており、より強力で装甲の厚い戦車が必要とする意見を持っていた。

こういった事情から用兵側の立場から重戦車/戦車駆逐車の要望がより高まったとしても不思議ではなく、実際に彼が超重戦車オイに関与していることからノモンハンにおいてソ連重戦車SMKが出現して恐慌状態に陥ったと仮定した場合、史実以上に重戦車構想が現実のものとして研究される可能性は十分にあると言わざるを得ない。

実際、技術本部など陸軍当局が乗り気ではない状態であっても、試製オイは41年4月製造開始、同7月に完成という目標で計画がスタートし、陸軍当局の非協力的体制でありながらも42年4月時点で走行実験に至っていることを考えると、43年後半と算定したそれよりも遙かに前倒し出来、42年年末までには35トン級であれば実戦投入出来るのではないかと思われる。

特にチリなどは技術的には40年時点程度の成熟した技術を基礎としていることから、前倒しが可能であると想定するのはそれほど無理があるものではないだろう。

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有坂総一郎 2022/03/26 00:00

チハたん<4>

既にチハについてというよりも、帝国陸軍の戦車砲や「このはと」世界における戦車のあり方という感じに話が逸れているような気がするが仕方あるまい。

一度整理して考え直すとしよう。

まず、現実世界の戦車の歴史は41年においてその流れを大きく加速させたと言うことである。これは当然の帰結として戦車砲にも影響を与えることとなる。

そう、T-34ショックである。

リアル転生疑惑があるこのT-34はあらゆる意味で先進的すぎた。

傾斜装甲による被弾経始、幅広の履帯による泥濘地だろうが無視しての機動、主砲火力は圧倒的な貫通力を備えるという化け物だ。

そしてそれだけでなく化け物を化け物ならしめるのはその生産性である。俗にパンター1台作る間に15台作れると言われるほどのそれである。

文字通り、雲霞の如く、イナゴの群れとも言えるほどの数で押し寄せるそれだ。多少の人間工学無視や規格品の遊びがガバガバなことも何のその。工具箱で修理出来、燃料入れたらすぐ動くと言われるそれは火力云々以上の脅威であると言わざるを得ない。

L-1176.2mm戦車砲の性能は以下に示し、ドイツのⅢ号戦車、Ⅳ号戦車と比較してみると解るがいかれているの一言である。

T-34 76.2mm L-11
500m:60mm/1,000m:50mm AP
500m:62mm/1,000m:56mm AP

Ⅲ号戦車H型 50mm/L42 KwK 38,40
500m:54mm/1,000m:41mm APHE

Ⅳ号戦車E型 75mm/L24 KwK 37
500m:39mm/1,000m:35mm AP

バルバロッサ時点での比較であるが、これでは太刀打ち出来るわけがない。まして、T-34の砲塔前面/側面が90mm/75mmで曲面及び20度傾斜、車体前面/側面が45mm/45mmで60度傾斜。

あ・・・・・・ありのまま今起こった事を話すぜ!何を言っているか解らないと思うが、俺も解らない。頭がどうにかなりそうだった・・・・・・。猛然と突っ込んでくるヤツに砲弾を食らわせてやったんだ、だけどよ、躱されたとかそういうチャチな話なんかじゃねぇ、もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ・・・・・・砲弾を食らっても弾き返してビクともしないんだ。その上でヤツはお構いなしに単機で突っ込んでくるんだ・・・・・・。しかも、ヤツはその後は戦術を覚えて隊列を組んで襲ってきたんだ・・・・・・。

と言う奴だ。

文字通り前線が恐慌状態に陥る。そんな化け物がモスクワで反撃してくるんだから。

その化け物退治にドイツは当然、動き出す。

そう、化け物に勝てるのは化け物だけである。パンターという怪物を、ティーゲルという魔物を、ケーニヒスティーゲルという魔王を・・・・・・。

これが42~44年の出来事である。

そして、その情報(化け物と怪物と魔物の情報に決まっている)をドイツはベルリンに駐在する陸軍武官が遣独潜水艦から持ち帰るのだが、残念ながら、遙か遠くの日本に持ち帰ったところで、研究開始しても追いつくわけがない。

今の今まで長砲身57mm砲による次期戦車開発をやっていたところにそんな情報持ち込まれたところで出来ることなんてたかが知れている。

それでも、我が帝国陸軍の至宝、原乙未生と戦車開発陣は超能力を発揮して開発した。そして間に合わせた・・・・・・それが三式中戦車チヌである。製造中の一式中戦車チヘの車体上部と砲塔を取っ払ってその上に九〇式野砲を無理矢理積んだ砲塔をでっち上げて、量産ラインに乗せたのである。

迫り来る本土決戦に備えて帝都の三菱重工の戦車工場では空襲も何のそのとせっせと製造に励んでいたのだ。

この前提条件を無視して語ることなど出来ない。

文字通り、「話が違う」のである。ノモンハンの後にそんな話は聞いていないのだ。間に合わせる方がどうかしているわけで、そんな国力が大日本帝国にはあるわけがないのだ。

だが、それでもやり遂げたのが原乙未生以下の技術陣であった。

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有坂総一郎 2022/03/25 18:30

君主論考察<1>

君主論

改めてマキャベリの君主論を読んでみると、そこに記されている君主像や君主の取るべき方策というものを現実/虚構問わずに実践を試みる者は数あれど、その多くは君主論に記された通りの末路を辿っていることが多いと気付かされる。

「現国」ではそもそも君主論を軸としてそれに沿った形での国政や外交を行い周辺国との攻防を進めているのだが、国家や君主を物語の主軸にしている作品は数あれどやはり、君主論に従いきれていない作中の君主や指導者が多い。無論、その世界にマキャベリに相当する人物がおらず君主論に相当する論理が存在しないことが理由になるだろう。無論、転生/転移者の場合は君主論に接していないことでその論理を活用していないということも大きな理由になるだろう。

さて、そこで君主論を活用した形で物語上において君主という存在、指導者という存在に設定を行うことがやはりその国家やその勢力の背景を構成出来るのではないかと思う。

例えば、「現国」において君主論で明確に活用されている部分を如何に書き出してみよう。作中での出来事とは関係なくに書き出していることを留意願いたい。これの出典は「リーダーの掟 超訳君主論」による。

1,悪人になる覚悟を持つ
2,慎重に振る舞い悪評を避ける
3,愛されるより恐れられる方が良い
4,獣と人間をうまく使い分ける
5,必要とあれば悪の道を行く
6,誠実で親切に見えるようにする
7,力強く振る舞う
8,謀反を防ぐ
9,国民を味方にする
10,自分で直接手を下さない
11,身近に仕える者を酷く傷つけない
12,力のある者を味方につける
13,国民を武装させる
14,国民への信頼を示す
15,かつての敵ほど人並み以上に忠義を尽くす
16,最強の砦は国民に憎まれないこと
17,自分が敵か味方か明言する
18,中立の道を選ぶと大抵失敗する
19,有能な人物を引き立てる
20,努力する者に報いる
21,有能で忠実な側近を選ぶ
22,君主のことを自分より優先する側近を選ぶ
23,必要な助言を聞く
24,人間の力で半分は変えられる
25,運だけに頼らない、時代に応じてやり方を変える
26,優秀で統一され軍を育てる
27,新たな領地に住む
28,新たな領地に睨みを効かせる
29,叩くときに徹底して叩く
30,滅ばないために敢えて戦う道を選ぶ
31,改革は強引に実行する
32,労せずして君主になった者は大いに努力する必要がある
33,悪逆の限りを尽くせば栄誉は得られない
34,残酷さは上手く使う
35,残酷な行為は繰り返さない
36,貴族の反抗を警戒する
37,野心のある者を警戒する
38,他国に頼らない
39,優れた法と優れた軍隊を持つ
40,お金目当ての兵には気をつける
41,援軍を当てにしない
42,自国軍で戦う
43,災いは芽の内に見つける
44,戦術を考え抜く
45,優れた先人に学ぶ

重複する部分は統合する形であるが上記が作中で明確になっている部分だろう。無論、読み返すと「リーダーの掟」に記されている150項目殆どを実行していることに気付くだろう。

さて、「天才王子」でも、ここに記された項目のいくつかを実践していることに気付くかも知れない。だが、「現国」のソーマと違い、「天才王子」のウェインの場合、君主論に真っ向から反する鼓動をとることが多い。それが物語を進めるそれでもあるから、ある意味では意図的にしているのではないかと考察している。

他のモノも考察出来ると良いのだが、生憎時間の都合と予算の都合でそんな余裕はないので、基本的にはこの二つを基礎としての考察を行い、同時に現実世界でのそれも比較してみる。

さて、「現国」作中でソーマは「国王システム」になりきることで自身の精神を保とうとして限界に達したわけだが、生まれつき君主の系譜でもなければ、当然の反応だと言って良いだろう。「国王システム」とはまさに君主論による君主像と言い換えても良い。

32,労せずして君主になった者は大いに努力する必要がある

「国王システム」によって精神的に限界を迎えたのは、まさにこの項目を実践してきた結果と言える。無論、大いに努力する必要があるという点については、他の項目にも挙げられているように、清濁併せのむことを求められ、残虐行為を行うこと、その結果を受け入れることを示している。

何も彼の指示で戦場で兵が死ぬことだけが、「国王システム」による努力というわけではない。

その点「天才王子」のウェインは生まれつき君主の系譜だ。当然、帝王学によって経験ではなく知識としてそれを知っている。そして、その責任を摂政として受け止め、国政に励んでいるわけだから、君主像としてはある意味理想的であると言えるだろう。

ただし、二人とも共通しているのは、労せずして君主になった者という点だ。経緯は違っても、ある日突然そうなった。しかし、彼らには武器があった。全くの徒手空拳ではなく、ソーマには君主論、ウェインには帝王学という。

だが、それでも不利な条件である。

何れも譜代の家臣がいない。

19,有能な人物を引き立てる
20,努力する者に報いる
21,有能で忠実な側近を選ぶ
22,君主のことを自分より優先する側近を選ぶ

彼らの急務はそこにあった。

ソーマは唯才令によって人材確保と譜代の家臣を得ようと考える。ウェインは自身の補佐官と軍部の若手将校と外国から流れてきた老将軍をまずは譜代とした。

しかし、ソーマとウェインの違いはそこにもあった。

ソーマは唯才令によって人材確保すると同時に国民に努力を促した。そしてそれを取り立てることで国家全体の活性化を目指したのである。

6,誠実で親切に見えるようにする
14,国民への信頼を示す

この項目を実行したと言えるだろう。

だが、ウェインの場合は少し違う。

6,誠実で親切に見えるようにする
16,最強の砦は国民に憎まれないこと

このイメージ戦略は一定程度行っていたのだが、

14,国民への信頼を示す

これをしていない。それは作中にも明確な表現として期待していない旨を語っている。よって、彼はイメージ戦略として国民への慰撫は行いつつも、国民とは一線を引いている。

だが、彼らは共通して以下のことを行っている。

1,悪人になる覚悟を持つ
2,慎重に振る舞い悪評を避ける
3,愛されるより恐れられる方が良い
4,獣と人間をうまく使い分ける
5,必要とあれば悪の道を行く
23,必要な助言を聞く
24,人間の力で半分は変えられる
25,運だけに頼らない、時代に応じてやり方を変える
29,叩くときに徹底して叩く
30,滅ばないために敢えて戦う道を選ぶ
36,貴族の反抗を警戒する
37,野心のある者を警戒する
38,他国に頼らない
39,優れた法と優れた軍隊を持つ
40,お金目当ての兵には気をつける
42,自国軍で戦う
43,災いは芽の内に見つける
44,戦術を考え抜く
45,優れた先人に学ぶ

周囲が敵だらけだと認識していれば当然の帰結であるから語るべきことは少ないだろう。

特にウェインは以下の項目が突出していると思える。

4,獣と人間をうまく使い分ける
5,必要とあれば悪の道を行く
23,必要な助言を聞く
25,運だけに頼らない、時代に応じてやり方を変える
43,災いは芽の内に見つける
44,戦術を考え抜く

交渉において相手を出し抜けるタイミングや出方を窺いつつ最大限に利用出来るモノを利用しようというそれだ。そのためには平気で嘘もつくし、煽りもする。無論、相手が悪いと裏の糸を読み取られた上で手玉に取られると言うこともあるが。そこが「天才王子」の見所であると思う。

相対してソーマはどうかと言えば、君主論に忠実にあろうとし、手を汚すにしてもそのタイミングを計り、行動を起こしている。その意図するところは表には出てこないが、着実に望んだ方向へ向けていき、また、自分の意図していることを他者が行っている場合、自分が表に出ずに直接手を下さない形で改革を推進させるという手法もとる。

また、両者において領国経営でも違いが見られる。

27,新たな領地に住む
28,新たな領地に睨みを効かせる

ソーマは占領地であるアミドニアに出張って一時的に政府機能を移転させてまで占領統治を行い、またアミドニア併合時も同様に政府機能を移転させた上での統治を安定するまで行っているが、ウェインは軍と一緒に行動していての結果的な占領統治であり、マーデン併合時に同じ行動をせず、あくまでマーデン侯爵領として扱いマーデン侯爵に統治行為を任せている。

8,謀反を防ぐ

これに対して有効な手段とはならず、作中でも謀反若しくは自立の可能性を疑う描写が出て来ている。

一連の流れからこういった考察をしてみているが、どちらがより優れているとか、そう言う話ではなく、あくまでも君主論を通して二つの君主の取っている方策の違いを考察しているに過ぎない。

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