サーチライト 2023/01/22 22:00

活動報告212回目

こんばんは。坂下です。


最近、久しぶりにギャルゲーをやっています。「なないろリンカーネーション」です。

公式サイトはこちら


非常に面白いです。シナリオがダレないようにギュッとまとまっていて、ストーリーも二転三転して読み応えがあります。全ルート攻略を目指していきたいです(攻略自体はそんなに難しくない。必要なのは時間)


考えるとギャルゲーってスペック低いPCでもできますし、シナリオに音楽、声優にイラストを駆使して臨場感を出す総合芸術感がありますよね。今は「キャラが瞬きをする」とか「演出がアニメ」みたいなものもありますが、アニメに近いがアニメではない、ラノベともまた違う、その事によって醸し出される空気って間違いなくあると思っています。
少し古くて恐縮ですが、「シュタインズゲート」を「やった時」と「観た時」の感動は似て非なるものでした。


つらつらおもんみるに(最近聞いて使ってみたかった表現)、ギャルゲーってラノベとアニメの間くらいにある体験なのかな、とおぼろげな推測が立ちます。


かなり唐突ですが、「時間」という補助線を引いて考えてみましょう。



この三つの中で、アニメは一番時間に制約されます。最近「タイパ」なる単語が最近聞こえてきましたが、アニメは(倍速鑑賞を覗けば)制作側が「鑑賞にどれだけの時間を費やすか」をかなり指定してくるスタイルです。それを代償として、情景豊かに描かれるアニメーションにダイナミックな演出、声優迫真の演技と機微を穿つ音楽をぶつけてくるエンタメとなります。


(これはさらにおぼろげですが、時間の制約が厳しいからこそ"体験のタイミング"まで均一化させることが出来るため、バズりやすいのかなと思います。ポプテピピックの一期と二期の話題の差はクオリティとは別にここにあるのでしょう。要は鑑賞のタイミングまで指定される不便さが逆にメリットになっている。漫画の期間限定の無料公開もこれの亜種っぽい)


ラノベは逆に時間の制約はありません。その代わり、「基本・文字」という少ない手段で想像力を惹起してきます。どこかで書きましたが、「描いていないものを想起させる」のが小説の基本です。いわば賭けの一種ですね。読む相手がこれまで触れてきたもの、通り過ぎた事。知っている事、わからない事のバランスにも配慮しつつ、ただ文字列を読者の脳内で生き生きと再生させる必要があります。


じゃあギャルゲ、ADVは? というと「アニメよりは弱いですが指定が多く、その代わり時間の軛はそんなにない」、というなんとも真ん中な手法です。
これが良いとこどりなのか、中途半端なものだったのかはわかりませんが、感動するシーンを自分の尺で味わえるのはラノベっぽく、それをイラストや音楽で盛り上げてくれるのはアニメっぽいです。


それによってどのように感動が変わるのか? 受け取るものは変わるのか? 
坂下は「物語は手法によって変貌する」という唯物論めいた考えを持っています。仮にシュタゲのストーリーが一緒だったとして、それが格闘ゲームであれば受け取る感動は全然違うという意見です。


(格闘ゲームはそりゃ当然ですが、じゃあ実写だったら? 舞台だったら? みたいに、少しずつ変わっていく、という意見。考えるとゲームや小説でなければ時間って結構指定されますね。そういう意味だとゲームや小説が奇異なのかもしれない)



ここにはまだ見ぬ可能性がありそうではありますが……無念。今の私では考えをまとめるのは難しそうです。
シュタゲのゲームで得た感動と、アニメの感動はなぜ違うのか……いつか、まとめてみたいと思います。



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