おかず味噌 2020/03/18 03:46

短編「定番お漏らし『授業中』」

悪夢の始まりは、五時限目の世界史の「授業中」のことだった――。
「それ」は音もなく私の背後に忍び寄り、授業開始から二十分が過ぎた頃ついに私を捕らえ、やがて私の「お腹」を支配した――。



登場人物「長沢みち子」
 高校二年生。黒髪のストレートで、比較的小柄な、やや幼さの残る顔立ち。いわゆる「イケイケのギャル(死語)」ではなく、学校生活においては化粧をしていないが、休日に友達と出掛ける時は、周囲と同化するために不慣れなメイクを施す。人懐っこい性格のため友人は多く、クラスの男子にもそれなりにモテる。誰とでも分け隔てなく接し、交友関係は割と地味目な女子から、クラスのリーダー格の女子までと幅広い。高一の夏休みから付き合っている彼氏がいる。
 友人が多く、その上彼氏までいるということで、自分では「スクールカースト」の割と上位にいるんじゃないかと思っている。だが、元々は大人しめの性分のため、頂点の「パリピ女子」たちはいまいちノリが合わず、それでも少し無理をしつつも背伸びして同調している。かといって、あまりイケてないグループの友人たちを見下すわけでもなく、むしろ彼女たちと一緒にいるほうが素の自分を出せる気もする。
 だけどやっぱり、イケているグループに所属している自分の方が気に入っていて、彼氏もそのグループの女子たちと仲が良い。だから放課後や休日は彼女たちと遊ぶことで、充実した高校生活をエンジョイしている。
 今の彼氏が人生初めての彼氏で、付き合ってもう一年近くになるが、まだ「初体験」は終えていない。彼氏としてはやっぱりヤりたがっているみたいだけど、何となく痛いのは怖いし、彼氏が自分のことを「そういう目」でしか見なくなるのでは?という不安もある。
 胸はまだ発展途上(かも?)で、少し大きめのお尻と「幼児体型」気味のスタイルに、ややコンプレックスを抱いている。
 下着はママの買ってきてくれたものをそのまま付けていて、今のところ自分で下着を買いに行ったことはないし、その予定もない。それでも、たまに見えてしまう同級生の女子たちの派手な下着には、少しばかり憧れもある。ちなみに今日のショーツは、ピンク色の木綿生地。さすがに「キャラクターもの」や「クマさん」は、とっくの昔に卒業した。
 まさかそのショーツを数十分後に「うんち」で汚してしまうなんて――、まだ彼女は想像さえしていなかった――。



――お腹痛い…。
 みち子は心の中ではっきりと「異変」を自覚する。
 とはいえ、「腹痛」には幾つかの種類がある。小学生の頃、学校で「大便」を禁止された男子たちがよく言っていた「そういうヤツじゃない」というものから、少しでも「幼児体型」を克服するため、家でたまに思い立って「腹筋」をした翌日に訪れるもの、それから「女の子の日」のものまでと、様々だ。
 みち子は自分のお腹に訊ねる。「今の『それ』は、どんなものなんだい?」と。返ってきた答えは――無情にも「便意」を告げるものだった。
――どうしよう…。
 みち子は、教室前方の時計を見る。長い針はようやく円盤の「最下部」に差し掛かるところだった。授業の終わりまでまだ三十分以上ある。

「三十分」という時間を、色々なものに当てはめてみることにした。
 小さい頃に観ていた「アニメ」の放送時間がちょうどそれくらいだ。ということはつまり、同じだけの時間を耐えればいいということだ。だが、ここである問題に思い当たる。
 確かに、放送番組欄にはきっちり、前の番組と次の番組の間、ちょうど三十分の「枠」が用意されている。だけど実際は、二十六分くらいで番組が終わり、あとはコマーシャルなのだ。しかも、オープニングの後、前半と後半の間にもCMがある。
 CMの間、トイレに行ったり、ジュースを取りに行ったりと、テレビから離れる。そんな「休憩」を含めての三十分なのだ。席を離れることも、立ち上がることさえもできない「三十分」とはわけが違う。
 次に、もっと細かく分割してみることにする。
「カップ麺」の待ち時間が「三分(最近ではそれより短いものも多いが)」だ。ならば、その「十個分」がちょうど三十分に相当する。こちらはタイマーで測ってきっちり「3分×10」、間にCMが挟まれることはなく、しかもこれは純粋な「待ち時間」なのだ。だが、ここでもやはり問題はある。
 そもそも、一度に十個ものカップ麺を食べたことがないという問題だ。どんなにお腹が減っていたとしても、せいぜい二個、それが限界だ。「カップ麺を同時に十個食べてみた!」なんて、Youtuberの企画でもあるまいし、家でそんなことをしようものならママに怒られてしまうだろう。
 それに、もし仮にそんなチャレンジをするとしたら、一個三分以内では到底食べ終えられないので、もっと長い時間が掛かるだろうし、そのインターバルはもはや「待ち時間」とは呼べない。
 今度は、もっと長い時間の「一部」を切り取ってみることにする。映画の上映時間を「二時間」だとすると、その四分の一くらいで――。

 みち子は再び時計を見た。思考に耽っていたことで、思わぬ「長い時間」がいつの間にか経過していたことを期待して。
 だが、時計の針はさっきとほとんど同じ位置に留まったままだった。クラスメイトに聞こえぬよう、みち子は小さくため息をつく。
――どうして、こういう時って、時間が経つのが遅いんだろう…。
 これが「相対性理論」というやつだろうか?(違う。)友達と遊んでいる時や昼休みはあっという間に時間が過ぎるのに、授業中は時間の流れがとても遅く感じられる。本当に「同じ時間」なのか?と疑いたくなるほどに。ひょっとすると、時計の針がサボっているんじゃないか?と感じるくらいに。そして、今日の授業はいつも以上に長く思えた。

――先生に言って、トイレに行かせてもらおうかな…。
 世界史の本田先生は、そんなに厳しくない先生だ。申し出れば、きっとトイレに行くのを許してくれるはずだ。そうすれば、授業の終わりを待つまでもなく、すぐにこの苦しみから解放される。だけど――。
――恥ずかしい…。
 授業中にトイレなんて、子供じゃあるまいし。それこそ休み時間に済ませておけ、という話だ。それに、わざわざ授業中にトイレに行くということはつまり、自分の限界が近いことを告白しているようなものである。
「みち子、さっきの授業中、そんなに限界だったの?(笑)」
 きっと後で、美香に訊かれるだろう。
「そう!本当に限界で。漏らすかと思ったよ!」
 そんな風に笑い話で済ませることもできるかもしれない。けど、直接訊かれることのなかった他の友達や、クラスの男子たちはどう思うだろうか?
 みち子は選択を迫られる。「トイレに行くべきか、行かないべきか、それが問題だ」

――いや、待てよ?
 みち子は思いつく。もっと簡単に、もっと手際よく、スマートにこの問題を解決する方法がある。
――「体調が悪い」と言って、保健室に行かせてもらえば…。
 もちろん、彼女が行きたいのは保健室などではなく、「トイレ」だ。だけど、保健室に行きさえすれば、そこからトイレに行くこと自体はそんなに難しいことじゃない。というか、とても簡単なことだ。
――でも、授業をサボることになるよね…?
 真面目なみち子は、わずかな罪悪感を覚える。だが、そんな自分を納得させる論理はすでに構築済みだ。
「トイレに行きたい→お腹が痛い=体調が悪い」
 決して嘘をついているわけではないのだと、自分を納得させる。あくまで「緊急事態」であることに変わりはなく、違うとすればそれが「生理現象」によるものか、本当に「体調の異変」によるものかくらいだ。
 あとは、いかに体調が悪そうな演技をして、先生を騙すかだ。それにはやはり少しの抵抗感が伴う。先生はきっと心配するだろう。保健委員の付き添いを命じるかもしれない。友人たちもきっと心配してくれるに違いない。もしかしたら、授業終わりに「お見舞い」に来てくれるかもしれない。まさかその時に「本当は『うんち』がしたかっただけでした~!」なんて言えるはずもなく、私はそこでも友達を騙す演技をしつつ、「もう大丈夫」という体調が回復したフリをしなければならない。それはとても、カロリーが必要なことだ。

 改めて、みち子は時計を見る。時計の針は「坂道」を上り始めたところだった。あと三十分弱、二十数分、この場で耐えるのか、それとも救済への「一歩」を踏み出すのか。「放置」か「解放」か、そのどちらを選択するべきなのだろうか。
 もちろんこのまま何事もなく、変化を起こさずにいた方が「ラク」に決まっている。だけど「その時」まで、果たして「お腹」がもってくれるのか――。
――ギュルルル…。
 突如、みち子のお腹が悲鳴をあげる。楽観視する自分を突き放すように、胃腸が自己主張を始める。
 みち子は両手でお腹を押さえ、ただじっと「波」が過ぎ去るのを待つ。目を閉じて、苦痛に耐える。額には脂汗がにじみ、全身は小刻みに震えている。

――危なかった…。
 何とか「峠」を乗り越え、みち子は目を開く。平和な教室の中は、さっきまでと何も変わらない。けれど自分だけは人知れず、強大な敵との攻防を繰り広げていた。あともう一回攻め込まれたら、本当にヤバいかもしれない。
「現代では考えられないことですが――、中世のヨーロッパでは、みんな街中に汚物を平然と捨てていました」
 先生の言葉が聞こえてくる。それを聞き取れるくらい、あくまで一時的ではあるが、みち子は束の間の余裕を取り戻していた。生徒たちの「え~!」「不潔!」といった声さえ、耳に届く。現代では考えられないような「常識」を知って、みち子は思う。
――もし、ここが中世ヨーロッパだったなら…。
 もしそうなら、たとえここで「排泄」をしたって、それは常識の範囲内であり、誰にも見咎められることはないのに、と。
「女性の履く『ハイヒール』は実は、当時の人々が街中にばら撒かれた『汚物』を踏まないように発明されたものなんです」
――いや、違う。
 それは「ハイヒール」の成り立ちに、異説を唱えるものではない。
 いくら当時の人たちでも、まさか人前で堂々と排泄をしていたわけではない。もしかしたら、そうなのかもしれないけれど――、それにしたって、それなりに排泄部分を隠すなりのことはしていたはずだ。それに、ここは屋外ではなく、室内だ。先生が言っていたのは、あくまで街中つまり屋外の話であり、当時の人たちだって室内で好き勝手に排泄していたわけではないだろう。そして、今は中世ではなく「現代」なのだ。水洗便所が整っているからこそ、「排泄行為」はトイレでするのが当たり前であり、そうでなければ「野糞」であり「お漏らし」だ。
 みち子がこの場で「排泄」するとしたら、それは「ショーツの中」にであり、もしそれをしたならば、彼女のこれまでの人間関係は立ちどころに失われてしまう。それは何としてでも避けなくてはならない。

 みち子は改めて、時計を見た。長針は「一周」を三分割したところだった。
――あと二十分、イケるかもしれない!
 みち子の中に、初めて「希望の光」が差し込み始める。今では腹痛も収まりつつあり、「波」も比較的穏やかだ。これならば、恥ずかしさを耐え忍んで教室を抜け出さなくても、このままただ座っていればチャイムが鳴って、普段通り次の休憩時間にトイレに行くことで、事なきを得られるに違いない。
――簡単なことじゃないか!
 あと、二十分というのは確かにそれなりに長いけれど。腹痛さえ感じていなければ、耐えられない時間でもない。いつもの退屈な授業をやり過ごすみたいに、ただ座ってじっと待っているだけでいい。
 みち子はシャーペンを握った。中断していた板書をすることで、少しでも気を紛らわせようと、それによって「気がつけば授業が終わっていた」ことを期待するように、先生の声を耳でしっかりと聞きながら、うんうんと頷いて、ノートにペンを走らせる。ペンの色を使いわけ、テストに出そうな所にはマーカーを引き、いつも以上に真面目な生徒を演じる。鼻唄さえ浮かんできそうだったが、今は授業中、その気持ちをぐっと堪える。

――あと、十七分。
 あと十五分。その間も、みち子はしきりに時計に目をやる。いかに余裕があるとはいえ、いつこの状況が逆転されるとも限らず、時計の針の「足取り」はいまだに重かった。
――あと十三分。
 十二分、十一分――。そして――。
 ようやく、残り十分を切ったところで、眠っていた「悪魔」はついに目覚め、最後の抵抗を試みる――。

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