おかず味噌 2020/11/08 16:00

ちょっと悪いこと… 第二十九話「私の視点 ~因果と応報~(8)」

(第二十八話はこちらから↓)
https://ci-en.dlsite.com/creator/5196/article/389455


――○○さんの、バカ…!!

「心の中」で彼を罵る。
 私は「一人」、「孤独」と「後悔」を抱えたまま「とぼとぼ」と街を歩いている――。
「勢い任せ」に「飛び出した」まではいいものの、思えば今の私は「ノーパン」だった。「お漏らしショーツ」は彼に奪われたままである。「羞恥」と「粗相」の「証拠」は彼の「手中」にあった。

「下」が「スカート」だからこそ、「穿いていない」状態というのは「スースー」する。
 それに。あるいは「一陣の風」でも吹こうものならば、すぐさま「丸見え」の「危機」というのは、私をとても「落ち着かない」気持ちにさせた。
 それこそが「お漏らし」をしてしまったことによる「代償」であり、「因果」に対する当然の「応報」である。最初から「分かっていた」ことだ。「予め」「想定」された、「既定」の「結末」だった。

 私はふと、思い出す。「初めて」彼の家で「お漏らし」をした「あの夜」のことを。
 その「直後」、同じく「後悔」に打ちひしがれながら「帰路」についたことを。
 だけど、何故だろう?あの時は不思議と「孤独」は感じていなかった。取り返しのつかない「過ち」を「犯して」しまったという「憂鬱」を抱きながらも――、私の心はどこか「高揚」に満ちていた。あるいは子供が「万引き」をしてしまった後というのは、こんな「気持ち」なのだろうか。

 あの時は確か「制服ズボン」を穿いていた。だから「スースー感」はそれほどではなく。あくまで多少の「違和感」と、「衣服」が「直接」「そこ」に「触れる」のをとても「イケないこと」をしているみたいに感じた。

 そして、今現在の私は「スカート」を穿いている。「剥き出し」なのは先述の通りで、その上私は――、未だに「おしっこ」に「濡れたまま」の状態だった。
 彼の家で「シャワー」を借りて「洗い流す」ことが出来た「あの夜」とは違い。私の「股間」は「キレイ」にはなっておらず、「汚れ」を「清算」することも叶わず。私のそこは「水温」になだめられることもなく、微かな「熱」を帯びていた。それなのに。

 どうしてだろう?「高揚感」というものは「全く」といっていいほど感じられなかった。多少「形」は違えど、あくまで私の「望んだ」「結果」であるはずなのに。そこに「達成感」はなく「充足感」もなかった。ただただ「後悔」だけが「残る」のみだった。

――あのまま「続けて」いたなら、今頃どうなっていただろう…?

 彼はまたしても私の「アナル」に「挿入」を試みたのだろうか。いや、私があれほど「拒絶」したのだからさすがに、彼だって「普通」にしてくれたかもしれない。
 私の「ヴァギナ」が彼の「ペニス」によって「突かれた」ことだろう。

 それであえなく――、めでたく――、「処女喪失」というわけだ。

 そんな「予定」もあり得たかもしれない。というより、もはや「確定」だっただろう。「あのまま」行けば間違いなく私の「悲願」は達せられ、今頃「寂しく」街を歩くことも、「あり得た」はずの「未来」に苛まれることも、なかったはずだ。それでも。

――これで良かったんだ…。

「強気」な私は言う。「あんなヤツ」に私の大事な「初めて」を「捧げて」なるものか、と。「迎え入れられなかった」のではなく、むしろあえて「守り抜いた」のだ、と。

 それに。「場所」にだって少なからず「不満」はあった。
 何たってそこは「トイレ」なのだ。「排泄」をする場所であり――あるいは「化粧室」ともいうが――決して「和姦」をする場所などではない。しかも、その上「公衆便所」。
 見たところ、比較的「キレイ」ではあったがそれでも。「タイル」には「誰のもの」とも分からない「飛沫」が散っているかもしれない。
(そういえば、私の作った「水溜まり」は今頃どうなっているだろう。「清掃」の人に「嫌な顔」をされながらも、すっかり「始末」されているだろうか)

 いかに「立ったまま」でするとはいえ。手を突くことになるだろう「壁」さえ「不浄」に満ちていて、正直言ってあまり「触れたく」はない。そして。「いつ」「誰が」、本来の「目的」のために「入ってきて」もおかしくはないのだ。
 そんな「場所」で果たして「存分」に「最後まで」、「満足」のいく「行為」が出来るだろうか。いや、そもそも「集中」さえ出来ないだろう。

 そうした「理由」は、いわば「後付け」のものだった。あくまで自らの「正当性」を「主張」するために、「都合よく」書き換えられた「真相」であり、捻じ曲げられた「真意」に他ならなかった。
 だが。だとすれば、私は一体どうすれば良かったのだろう。果たして、「あの先」どうすることが、どう「振舞う」ことが「正解」だったのだろう。私には解らなかった。

「電車」に乗る前にまず。「駅のトイレ」に立ち寄り、持ってきていた「ショーツ」に「穿き替える」。
「個室」に入り、先に念のため「陰部」と「お尻」と「太腿」を「ペーパー」で拭う。「そこら」はすでに「乾いて」いた。
「バッグ」から取り出した「下着」に足を通し、「清浄」なそれを穿く。「いつから」私の部屋の「タンス」に眠っているかも分からない、恐らく「母親」が「セール」か何かで買ってきたであろう「簡素」な「白」の「ショーツ」。
「こちら」については彼の「興奮」を高めるためのものではなく、あくまで「事後」の「着替え」のつもりだった。所々に「皺」が寄っており、「ゴム」は少しばかり伸びていて、いかにも「使い古された感」が漂っている。

 だけど私がそれを「気にする」ことはなかった。後はただ「帰る」だけなのだ。
「粗相」をしつつも、けれど「肝心」な「展開」を経ることなく、「無残」にも「敗走」するのみだった。あるいは「失態」を犯した私には、それこそが「お似合い」なのかもしれなかった。

「電車」に「揺られ」ながら――、「全身」に掛かるその「振動」に、「ローター」との「共通点」を見出す。だけどやっぱり違う。あくまでそれは「私だけ」のものではない。
「お尻」にふと、彼の「感触」を思い出す。「あの頃」の私はまだ、「期待」と「焦燥」に満ち溢れていた。「失って」みて初めて分かる、あるいはそれこそが「幸福」というものなのだろうか。

「駅」に着いて、また「一人」歩き出す。

――「行き」は「二人」、「帰り」は「一人」。な~んだ?
――「答え」は「処女」でした~!!

 下らない、何にも「掛かって」いない「冗談」を思いつくほど、その時の私は「余裕」だった。
「家」まで「十五分」。少しばかり「軽く」なった「足取り」で向かう。そして、ようやく「半ば」を過ぎた頃――、私の「お腹」は盛大に「下り」始めたのだった。

――ギュルルル~!!!

「突如」として聴こえた「悲鳴」に、思わず私はその場で立ち止まる。あまりに「突然」の「訴え」に、私の「理解」は追いつかなかった。
 だけどすぐに「急激」な「腹痛」によって「それ」を知らされる。「経験」から言って間違いない、この「感じ」は――、

「便意」だった。

 私は「『うんち』がしたくなってきた」のである。私の「胃腸」はそれを「出したい」と、まさしく「直情」に「主張」していた。その上しかも単なる「便意」ではなかった。
 もはや居ても立っても居られないほどの「強烈」な「便意」。「お腹」と「相談」するまでもなく、あくまで「経験上」私には分かる。この「気配」は紛れもなく――、

「下痢」の「予感」だった。

「普段」の「サイクル」とは異なる「リズム」、「突拍子」もなく訪れる「排泄欲求」。
「健康便」とは違いそれは「音」もなく忍び寄り、いつの間にか「近く」に迫っている。そして「気付いた」時には、もはや「後手」に回ってしまっている。

――どうして急に…?

 いや、その「原因」には「心当たり」がある。きっと「先のお漏らし」のせいだろう。
「濡れたショーツ」を脱がされ「ノーパン」になったことで、さらに「おしっこ」を拭くこともなく歩き続けたことで、「お腹」が「冷えて」しまったのだろう。
 それに。「水分」を多量に「摂取」したのも、今にして思えばいけなかった。「余分」な「水分」は「尿意」のみならず「便意」すらも「誘発」してしまうことを、私は知っていたはずなのに。

 私の「腸」は「過剰摂取」によって巧く「機能」せず「悲鳴」を上げている。「吸収」し切れなかったそれが「便」と混ざり合い「緩いうんち」を「形成」している。もはや「水流」にも等しいその「衝動」が「出口」を求めて「押し寄せて」いるのだ。

 少しでも気を抜けばすぐに「漏れ出て」しまいそうだった。「流れ出る」といった方が適当だろうか。「水分」を「多分」に含んだ「下痢便」はさながら「小便」の如く――。

 そんな「状況」だからこそ、「おなら」も「厳禁」だった。僅かでも「楽になりたい」と「誘惑」に負けて、「緩めた肛門」からそれを「解き放った」なら――。「気体」のみならず、もはや「液体」じみた「固体」さえも「一緒」になって「溢れて」しまうことは「必定」だった。そして「容赦」なく「ショーツ」の「お尻部分」を「染め上げる」ことになるだろう。「不可視」の「ガス」とは違い、「うんち」の「カス」が「ショーツ」に刻まれ、「おチビり」の「瑕疵」として残り続けることになる。

――なぜ、よりにもよって「白」を選んでしまったのだろう。

 ここに至って、やはりその「選択」は「間違い」だったと気づく。これでは「茶色」が「丸わかり」ではないか、と。
「下着」の「替え」は持っていなかった。さっき穿き替えた「これ」で「最後」である。
 にも関わらず、私は再び「汚して」しまいそうだった。今度は「うんち」によって。「おしっこ」より何倍も恥ずかしい「うんち」によって――。

 私はふと、昨晩の「自慰行為」の「結末」を思い出す。「絶頂」の「脱力」によって、はたまたほんのちょっとした「気の緩み」によって、私の「肛門」から漏れ出たモノ。「うんちおチビり」――。
 あの時も「水っぽい便」だった。だから「失便」の瞬間、私には「実感」というものがまるで湧かなかった。それでも確かに私の「ショーツ」にそれは「刻まれて」いたのだ。
 あるいは今のこの「衝動」もまた、気付いた頃には「終わって」いるのかもしれない。あくまで「一部」を「汚す」のみで、後は勝手に「治まって」くれるのだろうか。

 いや。「あの時」とはもはや「レベル」が違う。そもそも昨日は「便意」を感じることさえなかったのだ。だが今は「はっきり」とそれが「腹痛」となって襲い掛かっている。
「気配」から察するに。これはきっと、「ちょっと汚す」程度では済まされないだろう。「ショーツ内」を盛大に満たし、さらには「収まる」ことなく「零れ出して」しまうことだろう。

――どうして、私ばっかりこんな目に…!!

 私は自らの「不幸」を呪い、「憤り」すら覚えた。

――本当なら今頃、「処女」を「捨てていた」であろうに――。

「破瓜」の「痛み」に耐えることもなく、「莫迦」みたいな「腹痛」に抗っている。

――どうして、こんな事に…。

 果たして、「どこ」で「間違った」というのだろう。この「報い」もまた、私自身の「因果」に結びつけられたものなのだろうか。
 いや。元はと言えば「彼のせい」だ。「根拠」もなく、私は「責任転嫁」する。

――そう、「責任転嫁」だ。

 私はある時期まで、その「四字熟語」を「責任転換」だと思い込んでいた。だって、「そっち」の方が「意味」は通るし、しっくり来る。
 そもそも、どうして「嫁」なのだ?なぜ、よりにもよって「奥さん」に「罪」をなすり付けなくてはならないのだろうか。
 あるいは「男性」というのは、いつだってそうなのかもしれない。あくまでも自らは「知らん顔」をして、「女性側」に全ての「原因」を「押し付ける」のだ。
 まさに彼が「お漏らし」の「責任」を「転嫁」し、私を「罵って」きたように――。

「嫁」。そういえば「結婚式」はどうなったのだろう。それこそ私には「無縁」のことである。「父親」の「取引先」の「専務」の「娘」。「お相手」は「会社」の「部下」。「社長」の「息子」。「厳粛」な「結婚式」。やがて築かれる「幸福」な「家庭」。
「両親」はもう「帰宅」しているだろうか。そして「純君」は――。

 次々と「脈絡」のないことを思い浮かべる。今の私はそんなことに「脳」を「割いて」はいられないはずなのだが。

――こういう時は、少しでも「楽しいこと」を考えないと!!。

 純君がまだ幼い頃、私はよく彼を連れて「本屋」に行っていた。母親から「毎月」の「お小遣い」を貰っても特に「使う宛」のなかった私は。当時まだ「低学年」で「収入」が少なく、にも関わらず「欲しいもの」のいっぱいある純君に「本」を買い与えていた。
 出来ることなら「小説」とはいかずとも、「児童文庫」くらい読んでもらいたかったが
それでも。純君が「欲しい」と頼むのなら、「漫画」だって構わなかった。
(さすがに「ゲーム」を買ってあげるだけの「財力」は「中学生」の私にもなかった)

 傍から見れば、どこからどう見ても「仲の良い姉弟」。そして、私にとって「そこ」は「特別な場所」となっていた。あるいは「聖地」とさえ呼べるかもしれない。
 だからこそ。「大学生」になって「バイト」を始めることになった私が、まず最初に「本屋」で「働きたい」と思ったのは「必然」だった。そこには、その頃にはやや失われ掛けていた「姉弟」の「面影」が確かに「残って」いたのだ。

「引っ込み思案」な純君は、よく私の「後ろ」に「隠れる」ようにして歩いた。少しばかり私が先に行くと、彼はすぐに追いついてきて私の「腰」に抱きつき、「お尻」にしがみついた。お尻にもたらせられる「小さく」「柔らかい」感触。もちろん私に「不快さ」は全くなかった。だけど――。

 私の「お尻」に顔をうずめ、やがて顔を上げた純君は言う。

――お姉ちゃんの「お尻」、何だか「ヘンな匂い」がするよ…?

「幼い彼」にも「指摘」されてしまう。そう、それは――。

――ごめんね、お姉ちゃんまた「ウンスジ」付けちゃったの…。

 私は「羞恥」を、自らの「不始末」を「告白」する。それから――。

――あっ、ダメ!!純君、そんなに「刺激」したら、お姉ちゃんもう出ちゃう!!

 彼の触れた部分に「予感」を抱く。そして――。

――純君、見ないで~!!!

 私の「お尻」が「異音」を発する。瞬く間に「ショーツ」が、さらに「スカート」さえも「盛り上がり」。私の「うんち」が――、私がいつも「モップ掛け」をしている「床」に零れ落ちる。

 儚い「思い出」はけれど、「茶色いモノ」によって「塗り潰されて」しまう。そして、いずれは「現実」さえも――。

 そういえば。「純君」は「家」にいるだろうか?
「今朝」会ったばかりなのに、彼と顔を合わせるのは随分「久しぶり」な気がした。
 今日の「出来事」によって、私は「変わって」しまったのだろうか。それでも純君は「変わらず」そのままで居てくれる。「思春期」ならではの「興味」に、多かれ少なかれ「穢され」ようとも――。

 けれど。出来ることなら、今は純君に家に居て欲しくはなかった。
 私の「お腹に抱えたモノ」は恐らく、とてつもない「勢い」を「内包」しているに違いない。いざ「解放」したならば、きっと「豪快」な「排泄音」を立ててしまうことだろう。「女性」として、「姉」としてあるまじき「轟音」を響かせてしまうことになる。
 それを彼に「聴かれて」しまうかもしれない。「姉の排尿」ならぬ「姉の排便」を彼に「報せて」しまう。それを「知る」ことによって「まさか」とは思うが、またもや彼に「イケない興味」を植え付けてしまうことにもなりかねないのだ。

 純君が居ようとも居まいとも、私が「目指す場所」は「家」に変わりなかった。
 そして、そこにある「トイレ」こそ、「傍若無人」に振舞える「自宅のトイレ」こそ、私の「目的地」に他ならなかった。
 途中で、あるいは「コンビニのトイレ」に立ち寄ることを考えないわけではなかった。だが「異変」を感じた頃にはすでに「通り過ぎて」いたのだった。

 もし「可能」ならば、手で「お尻」を思いっきり「押さえ」たかった。だけど、それをすることは出来なかった。
 私の「欲求」が「通行人」に「バレて」しまう。私が「うんちしたい」ことを、必死で「漏れそう」なのを「我慢」しているのを知られてしまうことは「必至」だった。

「手で押さえる」代わりに「歩幅」を縮めることで、なんとか「対処」する。
 それが「距離」を引き延ばし、あるいは「ゴール」を遠ざけると知りつつも――。

――プチッ…。
――プシュ…。

 あれほど自らに「禁じて」いた「おなら」が、もはや幾度となく漏れていた。「水気」をたっぷりと含んだ「放屁」が「尻たぶ」の「隙間」から溢れ出す。まるで「プルタブ」を開けた時みたいに――。
 すでに私の「ショーツ」は「悲惨」なことになっているだろう。「微か」だが「確実」に漏れ出た「液状便」が「広範囲」に渡って「お尻部分」に描かれていることだろう。
 こんな事なら、やはり「黒」を穿いてくれば良かった。だがそれだって「ニオイ」までは「誤魔化せない」だろう。いや、あくまで「バレ」なければいいだけの話なのだ。

「帰宅後」の私の「道順」は決まっていた。
 まずは「玄関」の「ドア」を開けて、そこから「一直線」に「廊下」を進む。すぐさま「トイレ」に入り――「鍵」を掛けるのも忘れずに――それから「下着」を下ろして、「便器」に跨り、そしてそのまま思いっきり「ブチまける」のだ。

「シミュレーション」は「ばっちり」だった。だけど何か、心に「引っ掛かる」ものがあった。何だろう?私は再び「記憶の扉」を開く。それはごく「最近」の事だった。

 確かあの日は――、「土曜日」なのに「店」が「暇」で。だから私は「早上がり」したのだった。いくら「稼ぎたい」とは言っていてもやはり「休みたい」と思うのが、その「矛盾」が「人間」というものである。早々に自分の「業務」を済ませ、「意気揚々」と私は「帰路」に就いたのだった。

「尿意」を感じ始めたのは――、やはり「半ば」を過ぎた頃だった。「自転車」の私は、「サドル」に「股間」を「押し付ける」ことで何とかそれに「抗った」。その頃はまだ「失敗」は「一度だけ」であり、あくまで「一度きり」の、決して「繰り返して」はならないものだと思っていた。
 そして、家のドアの前に立ったところでようやく気づいた――。

 私は少しでも「急ぎたい」ところを一旦立ちどまり、バッグの中を漁り始める。
 もはや「手元」すらも覚束なかった。片手は「尻」を押さえたまま、もう片方の手だけで「探る」。家を出る前、確かにそこに入れたはずのものを。だが――。

――ない…!!

 私はどうやら「鍵」を忘れてきてしまったらしい。「あの時」と同じだ。
 犯した「過ち」に、それを「繰り返す」自分に「嫌気」が差す。「真面目」と言われつつも、どこか「間の抜けた」私。
 いや、「真面目」と「抜け目なさ」は本来「別物」なのだ。「あざとさ」が今となっては「聡明さ」を表わすものではなくなったように――。
 そもそも、今の私はもはや「真面目」とすら言い難いのかもしれない。

「再三」に渡る「お漏らし」。そしてついに「今日」は「外でお漏らし」をしてしまった。人々が行き交う中、日々の営みの中、そんな「日常」の中に「非日常」をぶちまけてしまったのだ。たとえ「少量」とはいえ、「本流」についてはあくまで「トイレ」まで「耐えた」とはいえ。あくまで「未遂」に終わったとはいえ、一度は「してしまおう」と考えた時点で「情状酌量」の余地はなかった。

 ほんの「数十分前」の私は、「尿意」を「堪えて」いた。そして今の私は、かつての「欲求」を遥かにしのぐ「便意」に「抗って」いた。
 もはやいつ「決壊」してもおかしくはない、とうに「安全圏」を通り越した「衝動」に。あとほんのちょっと「傾倒」するだけで、「分水嶺」を越えるのは容易かった。
「我慢」を止めてしまうことで、私は「楽」になれるはずだった。だがその代わりに、何か「大事なモノ」を「失って」しまうのは確実だった。

 くしくも「あの日」と同じ「シチュエーション」だった。「おしっこ」と「うんち」の違いはあれど。あくまで「ピンチ」に変わりはない。それもかなり差し迫った「危機」。
 今となっては「懐かしい」感情を思い出す。「初めて」彼の前で「お漏らし」した時と同じものだ。あの時は「人生終了」と思った。「死んだ方がマシ」とさえ感じた。
 だが私の「人生」は終わらなかった。終わってはくれなかった。むしろ、そこから私の「日常」に「変化」がもたらせたのだった。

 あるいはこのまま――。

 もし「漏らして」しまったなら。「おしっこ」ばかりでなく「うんち」さえも「失敗」してしまったとしたら。またしても私は「絶望」に打ちひしがれつつも、新たな「扉」を開いてしまうのかもしれない。
 いや、そんなはずはない。あくまで「おしっこ」については、あるいは「潮吹き」と呼ばれるものと大差ないのかもしれないが。「うんち」は別だ。それはどうしようもなく「汚く」、決して「興奮」の「材料」にはなり得ないはずなのだ。
 それに、私は純粋に「嫌」だった。自らの「排泄物」によって、服を「汚して」しまうなんて。「ショーツの中」に「うんち」を解き放ってしまうなんて――。

 純君は家にいるだろうか。きっと、いるはずだ。もはや彼だけが「頼り」だった。
 もし居なかったとしたら――、その時はもう「諦め」よう…。それだって、彼や純君の「目の前」で「漏らす」よりかは何倍も「マシ」だと思えた。

「牛歩」並の「鈍さ」で、それでも「着実」に「歩」を進める。そして――。
 私自身の「日頃の行い」のためだろうか。あるいは、これまで「真面目にやってきた」が故の「忍耐」のためだろうか。
 ついに――。下から「見上げる」ようにして「自宅アパート」を望む。

「真面目にやってきたからよ!」

 と、昔観た「CM」の「台詞」が蘇ってくる。

 ここまで来れば。だが、あくまで油断は「禁物」だ。ここまで来て、ほんのちょっとした「気の緩み」から「敗北」してしまうわけにはいかなかった。
 すでに、私は「何度」も「負けて」しまっているのだ。「真面目」に培った「忍耐」は打ち破られ、「日頃の行い」さえもそこでは「無力」なのだった。

 私の「家」は「五階」にあり「エレベーター」はない。「○問」にも感じる階段を上りながら、それはまるで「処刑」に向かう「十三階段」のように思えた。

「死に体」を引きずりながらも、ようやく「目的地」の「二つ前の扉」へと辿り着く。
 私は「願い」を込めて、「インターフォン」を押下した――。


続く――。
(果たして、彼女は「間に合う」のだろうか…)

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