有坂総一郎 2021/07/23 01:44

活動報告<3>

皆さん、こんばんは。

有坂総一郎です。

明日も葵の風が吹く ~大江戸デベロッパー物語~

現時点で8月1日まで毎日更新。

この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》

隔日更新。

内政ものは加速し始めるとあっという間に世界を一変させる。それは「エンジニアこそ真の革命家である」という明治の御雇外国人ヘンリー・ダイアーの言葉をそのまま示している。

条件さえ整えば、18世紀後半は欧州の産業革命以上に日本は飛躍することが出来る土壌にあった。それは明治維新後にあっという間に列強へと躍進したそれが示している。

元々識字率が高く、同時代平均の倍以上のそれであったことは田舎の農民に至るまで知識階層であったということを示している。当然、これがスタートダッシュの基礎となったわけだ。

それは明治初期だけのブーストではなく、江戸時代全体を通じてのものであるから常に初期ブーストのフラグは立っていたわけだ。

そんな中で、際立つのが発明家や学者や医者だ。彼らにほんの少しだけヒントを与えれば、あっという間にチートブーストを掛けることが出来るわけだ。

例えば自転車、これは意外なことに世界初と言っても良いそれを日本で達成されている。しかも、18世紀前半にだ。欧州で自転車の原型であるドライジーネが出来たのは1817年のこと。先に挙げた日本での達成は陸船車(四輪自転車)が出来たのが享保年間つまり1720年代頃、新製陸舟車(三輪自転車)も享保17年(=1732年)……何れも暴れん坊将軍こと徳川吉宗の治政の頃だ。

この時点で陸船車も新製陸舟車もペダル式だった。ドライジーネは足で蹴って推進力を得るキックボードと同じそれだ。欧州にペダル式が出来たのが1860年代であるから、おわかりの通り、技術格差はざっくり130年だ。

じゃあ、ペダル式が実用化出来ているなら、チェーンを実用化すれば現代のソレと同じものはあっという間に出現すると思わないだろうか?

仮にチェーンでなくても、当時の既存技術で歯車を活用すれば動力伝達は容易であるし、ロッド式を考案すればそのまま蒸気機関車の技術へと昇華する。

そういう技術の発展の妙味を明日も葵の風が吹く ~大江戸デベロッパー物語~​では味わって欲しいと思う。

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