おかず味噌 2020/11/05 16:00

ちょっと悪いこと… 第二十七話「私の視点 ~因果と応報~(6)」

(第二十六話はこちらから↓)
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「デート」が「再開」される――。

「街」には様々な「人」が行き交う。「奇抜」な「ファッション」に身を包み、「大声」で自らの存在を「誇示」して歩く「若者」。どこか「忙しない」様子で、「足早」に駆けて行く「会社員」。「行先」も「目的」も色々で、だが唯一「共通」しているのは――、彼らは皆「日常」の中に身を置いている、ということだ。
「街の色」は「雑多」に混じり合いながらも、そうして描き出される「風景」は「異端」なものでは決してなく、そこに「非日常」などありはしない。あるいはそれが「日常」とすぐ「隣り合わせ」に存在するものだとしても――。
「街の音」は騒がしく、けれどあくまで「平穏」に流れてゆく「営み」の中で――。
 今まさに「不穏」であるのは、私の「ショーツの中」だけだった。

 私は――、「アソコ」に「ローター」を入れたまま歩いている。
 すでに「余韻」は止み、その「感触」にも少しばかり「慣れつつ」あったがそれでも。一度、再び「意識」し始めたなら――、その「感覚」は確実に私を「蝕む」のであった。

「解放」を待ち侘び、もはや「限界」にまで高められた「尿意」は――、近づく「決壊」の「足音」を報せながらも、逆説的に私がまだ「お漏らし」をしていないという「無実」を示していた。
 とはいえ私の「ショーツ内」はというと――、やはり「無事」では済まされなかった。すでに私は「びしょ濡れ」だった。「愛液」なのか「おしっこ」なのか「判然」としないながらも、その「液体」は確実に「ショーツ」を「湿らせて」いた。
 いや、間違いなく少し「チビって」いるだろう。

――私の「おしっこ」の「匂い」、「嗅がれ」たりしてないかな…?

 本来であれば「トイレ」でこそ、「便器」にこそ「解き放つ」べきものを――、紛れもないその「匂い」を――、「携えて歩く」という「羞恥」。あるいは多少の「拭き残し」があったとしても、今の私ほど「あからさま」なものではないだろう。その「匂い」が「周囲」の人々に「周知」されてはいまいかと、私は気が気でなかった。
 彼らにとって知る由もない「秘密」を抱えたまま、それを「内側」に「秘めた」まま、私は歩き続ける。そして再び、彼によって「スイッチ」が入れられるのだった――。

 彼の「タイミング」はまさしく「絶妙」だった。
「歩道橋」の「階段」を上るとき、「信号待ち」で立ち止まり、再び歩き出した「瞬間」など。私が「油断」した途端に「スイッチ」は入れられる――。

――ブゥゥゥン!!!

「単調」であるはずの「振動」に、けれど私が「慣れる」ことはない。それが「不意に」与えられるものであれば、尚更だった。
「突如」として訪れた「刺激」に、思わず私は「立ち竦んで」しまう。「宣告」はすでにされており、だからこそ少なくとも「身構える」ことくらいは出来たはずなのだが――。
 それでも。私の最も「弱い部分」にもたらせられるその「反応」には、どうしたって「無抵抗」にならざるを得なかった。

「路上」の「真ん中」で留まった私を――、「事情」を知らない人々は「迷惑」そうに、あるいは「邪魔」そうに、「怪訝」そうな顔をして「追い越して」ゆく――。
 かろうじて手で「股間」を押さえることは控えたが――、だから余計に「音」は少しも「抑えられる」ことなく、私の「体」を伝わって「胎動」を耳に届けるのだった。

――「ローター」の「音」、「聴かれ」たりしてないかな…?

 そんな私の「不安」をよそに――、彼はあくまで「数歩前」を歩きつつも度々こちらを「振り返り」、堪える私を遠目に「眺めて」は「満足気」な笑みを浮かべるのだった。
 そして。ついに、「幾度目」かの「振動」の時――。

――あ、だめ…。出ちゃう!!

――ショロロロ…。

「ショーツの中」に「水流」が生み出される。「滝」のように「激しい」ものではなく、「小川」のように「か細い」ものではあったけれど。その「一筋」は確実に「ショーツ」を「濡らし」、「一滴」「一滴」と「クロッチ部分」に「染み込んで」ゆく――。

――バレちゃう…!!

 今はまだ、かろうじて「内側」だけで留まっているけれど。あるいはこのまま「刺激」を与え続けられたのなら――、私はやがて「全て」を解き放ってしまうだろう。
 そうなれば「街の人々」に、私の「お漏らし」を知られてしまう――。

 次第に「アソコ」の「感覚」が無くなってくる――。もはやそれが「快感」なのかさえ分からなかった。必死に「括約筋」を締めようとするが、それすらも巧く「機能」せず、「完全」な「決壊」に至るのは――、あるいは「時間の問題」だった。

 立ち止まり「俯く」私を――、また一人、「自転車」が追い抜いてゆく。「ヤドカリ」のように「大きなバッグ」を抱える者は――、最近街でよく見かける「配達員」だった。
 彼らはどこかの「店」で「食事」を受け取り、それをどこかの「客」の元へと届ける。私はふと、その「バッグ」の「中身」が気になってしまう。彼らの中には「安全運転」とは到底呼べない、「運転」の「荒い」者もいる。(もちろん「全員」がそうではないが)あるいは「中身」が「こぼれたり」しないのだろうか。そもそも、あの「バッグ」はどのような「構造」になっているのだろう、と――。

 そんなこと「考えた」ところで、私にとってはおよそ「無関係」であるし。今の私にはもっと他に「心配」すべきことがあるのだが――、それでも。人間「追い詰められた」時というのは、かえって「余計な事」ばかりを考えてしまうものなのだ。

 訊くところによると――、彼らは皆「雇用」されているのではなく、あくまで一人一人が「個人事業主」という扱いらしい。(その「仕組み」について「給料」ないし「報酬」について、詳しい事までは分からないが)
 まさに「新現代人」とでも呼ぶべき、新たな「働き方」を「体現」する彼らであるが。その「仕事内容」については何ら「最新」のものではなく、「遥か昔」から存在するものである。そして、あるいはその「バッグ」の「起源」は「岡持ち」へと遡る――。
 古い「ドラマ」なんかで見かける、いわゆる「中華屋さん」の「あれ」だ。そして、さらに「もっと昔」――、「岡持ち」が発明される前の「時代」は――。
 いつか「写真」で見たことがある。「蕎麦屋さん」だろうか、「うず高く」積まれた「セイロ」を片手で支えながら、器用に「自転車」に乗る姿。これぞまさに「危険運転」に違いないだろう。

 その「様子」を「写真越し」に眺めて、「私だったら、絶対こぼしてしまう」と思ったことを覚えている。いくら「手元」に「集中」していたとしても、「天辺付近」に至っては「意識」が及ばず、まさしく「アウト・オブ・コントロール」なのだ。
 少しでも「傾こう」ものならば決して「修正」は効かず、ゆっくりと確実に「崩壊」を始めてしまう――。あるいはそれは、今の私の「状況」と「酷似」していた。

「限界」まで高められた「尿意」に――、「極限」に積もり積もった「欲求」に――、「満タン」ほどに溜め込まれた「おしっこ」に――、もはや私の「支配」は及ばず、完全に「コントロール」を脱していた。

 やがて――。「天秤」が「振れ」出す。「釣り合った」ような「一瞬」の「静寂」の後。もうそれ以上「傾け」ば「立て直し」が利かず、「取り返し」が付かなくなるところまで――、あるいは最後の「防衛線」すらもあえなく「突破」してしまう。

 いよいよ、「秒読み」が始まる。「決壊」への「カウントダウン」。だがもはや今の私には「0」の瞬間まで「耐えられるか」すら危うかった。相変わらず「スイッチ」は入れられたままで、「振動」が止むことはなかった。ここまで来れば――、彼は「最後」までそれを「切る」つもりはないのだろう。

 私は「想像」する、その「瞬間」のことを。「お漏らし」の「結末」を「予感」する。

――今の若者は皆「スマホ」くらい持っているだろう。
――だから、私の「お漏らしの様子」を「写真」に収めるかもしれない。
――「SNS」だってやっているだろう。(ちなみに私は「アカウント」を持っていない)
――だから、私の「失禁画像」が「ネット」に「アップ」されてしまうかもしれない。

――私の「羞恥の姿」が瞬く間に「拡散」されてしまう…!!

 限りなく広大な「ネットの海」に、一度「解き放たれて」しまったなら――、それこそまさに「取り返し」が付かなくなる。
「覆水盆に返らず」。と、その「諺」はいかにも「お漏らし」を「比喩」したもののようであるが――、あるいは「行為」によって生み出される「水流」が「不可逆」であるように、「拡散」された「情報」というものもまた「元通り」とはならないのである。
 しかも、「ショーツ」を濡らした「おしっこ」は「洗う」か「穿き替える」かすれば「無くなる」のに対して。それはいつまでも「残り続ける」ことになる――。
 たとえ誰もがその「事実」を忘れ、いくら「忘却の彼方」に「消えた」ように思えたとしても――、あくまで「人知れず」「混沌の海」を「彷徨い続ける」ことになる。
 そして、やがて私自身さえも「忘れた」頃になって――、「突如」としてそれは眼前に「浮上」して来るのだ。消したくとも決して消せない「過去」の「過ち」として――。

 私は自らに問い掛ける。本当に良いのか、と。
 ここで「お漏らし」をしてしまって、それを「他人」に見られてしまって、結果としてその姿を「記録」されることになったとして――、それで本当に「構わない」のか、と。果たして「後悔」はないのか、と。
「外でのお漏らし」。それを「発案」し「計画」し、あろうことか「実行」に移そうとしているのは――、他ならぬ「私自身」だった。「人」として、「大人」として、「女性」として、あるまじきその「行為」を――、「衆人環視」に晒されることによる「羞恥」。あくまで「冷静」に考えれば、「損」しかないその「負の感情」であるが――。 
 だがそれでも。それを「○す」ことでしか得られない「快感」が、僅かでも「背徳」を「上回る」と思えたからこそ、私は「勇気」を持つことが出来たのだ。それなのに――。

 いざ、「実際」にそれを「してしまう」に至って――。どうしたって、「最後の一歩」を踏み出す「決意」というものが持てなかった。
 いや、それを「する」こと自体は何ら難しいものではなかった。ただほんのちょっと「きっかけ」を与えてやるだけでいい。わずかに「括約筋」を「緩める」事、それだけ。後は「自然」に、もはや私の「意思」とは無関係に「溢れ出す」ことだろう。あるいは、このまま「我慢」を続けるよりもずっと「楽」なことなのかもしれない。

 というよりも。すでに私には「迷う」だけの「余裕」すら、「留保」する「猶予」すら残されてはいなかったのだ。このまま「決め兼ねていた」としても――、であれば自ずと「答え」は一つに「決まって」しまう。要は「覚悟」の問題でしかないのである。

「人前」で「お漏らし」――。
「公衆」の「面前」で「失禁」――。
「見られ」「知られて」しまうことへの「羞恥」――。
 果たしてそれは、未見の「興奮」と未知の「快感」をもたらすのだろうか。私は――。

「やっぱり、ダメ~!!!」

「心の声」を、思わず私は口に出していた。同時に「スカート越し」に思いきり「股間」を押さえる――。
「叫んだ」私を、道行く人は「驚いた」ような顔で見てくる。「怪訝な視線」が――、「好奇の視線」が――、私に「集め」られる。
 ここに来て「振動」が止んだ。彼自身も私の「発声」に驚いたらしく、それで思わず「スイッチ」を「切って」しまったらしい。
「余韻」は残っているものの、これならばかろうじて「耐えられる」かもしれない。とはいえ「おしがま」はもはや「必須」であり、少しでも「手を離そう」ものなら立ちどころに「決壊」を迎えてしまう――。

 私は「股間」を必死に「押さえた」まま、その場に立ち止まっている。その「格好」は誰の目にも明らかな「我慢」の「構え」だった。そしてその「様子」から――、私が何に「抗って」いるのかはもはや「自明」であった。

――あの子、ちょっとヤバくない?
――「ダメ」って何が?
――「漏れそう」ってこと?
――何が?「トイレ」でしょ、絶対!

「街の声」が聴こえてくる。誰もが私のその「瞬間」を――、決して「望むべく」もないながらも、あくまで彼らの「日常」にふいに訪れた「ハプニング」として――、わずかな「好奇心」をもって、盛大に待ちわびる――。

――今日、街を歩いてたら急に「漏らした」子いてさ~!!
――何を?って、「おしっこ」だよ。てか「大」だったらヤバ過ぎでしょ!!
――いや、普通に「おしっこ」でも十分「恥ずかしい」けど…。
――えっ、何歳くらい?たぶん「大学生」くらいじゃないかな~。
――「普通の子」だったよ。そこそこ「可愛かった」し(願望)。

 なんて、そんな風に――。ちょっとした「話のネタ」にするだけの、ただそれだけの「理由」で。余すところなく「観察」を試みようと「無遠慮」な「眼差し」を私に向けてくる――。
 あるいはそれこそが本来私の「望んだ」もの――。如何ともしがたい、「粗相」による「羞恥」こそが私の「求めた」ものであり、「想定」の「結末」であったはずなのに。

 だがどうしても「視線」に耐えきれず、私はその場から「逃げ出した」のだった――。

 彼のいる方と逆の「方向」に私は駆け出した。「取り巻き」にぶつかりそうになりながらも、そこは「あちら」が勝手に避けてくれる。彼らとしても、まさか「おしっこ」を「引っ掛けられ」たくはないのだろう。あくまで「傍観者」でいつつも、「当事者」には決してなりたくないという「魂胆」が見え見えだったが、それがこの期に及んではまさに「功を奏する」こととなった――。

 私は「その場」から離れ、何とか「脱する」ことが出来た。彼らの「視線」を「痛い」くらいに「背中」に感じつつも、ようやくそれから「逃れる」ことに成功した。
「走り出した」ことで、「ローター」とはまた違う、今度はより「大振り」な「振動」を私は「下腹部」に受けることになる――。だがそれすらも、「手」を「股」に「挟む」ようにすることで「耐えよう」とする。
 それでも。「刺激」を感じることで、わずかな「隙間」が生まれ、そこから容赦なく「綻び」が始まるのだった――。

――じょろ…。ピチャ!
――じゅわ…。ポチョ!

「ポツポツ」と「雨」の最初の「一滴」のように――、地面が「黒く」染められる。
「空」からではなく、あくまで私の「スカート」の中から「降り注ぐ」それは――、紛れもなく私の「おしっこ」だった。今や「振り返る」だけの「余裕」すらなかったけれど、私の「辿った道」には間違いなくその「痕跡」が刻まれていることだろう。
 とはいえそれは、「知らない者」から見れば単なる「水滴」に過ぎないのかもしれない。あるいはそれが「女の子」の「大事な部分」から「零れ落ちた」ものなどとは、誰も思わないだろう。今はまだ――、やがてそれが確かな「水流」へと変わるまでは――。

 だが徐々にその「頻度」と「水量」は増していく。もはや「ショーツ」にそれを支えるだけの「度量」はなく――。「迸る」と同時に「溢れ出す」液体は「足跡」を刻む。
 あるいはとっくに「バレて」いるのかもしれない。私の「お漏らし」に「気付かれて」いるのかもしれない。だけど私にはそれを「気にする」ことさえ出来なかった。

「街の色」が少しずつ「失われて」いく――。「鮮やか」だった「色彩」も今や「灰色」に染まり、「モノトーン」の「風景」の中を私は進んでいる。
「視界」は極度に「狭まり」、「暗中模索」のように――。「五里霧中」を「無我夢中」で歩き続ける。「孤立無援」も今更ながら「四面楚歌」が聴こえ始める。

 ちょうどいいところに「公園」があった――。
 それこそまさに私にとっての「救済措置」であり、「九死一生」を得ようとせんばかりの「東奔西走」の末の「千載一遇」の「一期一会」だった。
 私は「公衆トイレ」に駆け込み、そこでついに「限界」を迎えた――。

――シュイィィィ~!!!

「おしっこ」が溢れてくる。みるみる内に「ショーツ」を濡らし、染め上げ、「タイル」へと零れ落ちる――。「形」は多少違えど、私にとっては「念願」の「お漏らしタイム」だった。

――気持ちいい~!!!

「股間」が「温かく」なる「感触」。もはや慣れ親しんだ「お漏らし」の「感覚」――。
「ピチャピチャ」と跳ね返る「水音」と、足元にまとわり付く「水滴」すらも心地いい。
「水溜まり」は盛大に広がり、まるで「意識の拡張」とばかりに「羞恥の延長」としての「痕跡」を物語る――。

 最後の「一滴」までも余すところなく、やがて出し終える。辺りに立ち込める「ツン」とした「アンモニア臭」。「想像」よりもやはり遥かに「醜悪」な「刺激臭」は「鼻腔」を穿ち、そのまま「脳天」へと突き抜ける。そこでふと、我に返った――。

――○○さん…。

 私は「心中」で「彼の名」を呼びつつ振り返る。そこには――、「彼」が立っていた。


続く――。

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