【2020バレンタイン記念SS】 「ナビのはじめてのバレンタイン」 (進行豹
「ううむ」
……2月であるのに、少し暑い。
汗と同時に、自然と言葉が吹き出してくる。
「ナビ、キャノピーを開けてもかまわんか?」
「いいえ、双鉄様。もう5~10分ほど、どうか、我慢してください」
「うむ?」
ナビの言には、常に相応以上の理由がある。
ゆえ従うことに異議は無い。
無いのだけれど……
「5~10分とは、どういうことだ?
かなり曖昧で、ナビにしてはめずらしい物言いのような気がするが」
「気象に関わることですので、範囲を狭めての予測が困難となるためです」
「ああ」
確かに今日の気象は2月離れをしている。
陽が射していた午前中には、コートが邪魔でしかたなかったし……
「午後になって出てきた雲も、暑さを助長しているよな」
「はい。あたたまった地表の空気の蓋として作用しています。ナビの飛行にも助けとなります」
「ならなによりだ。が、どこからどうみても雨雲でもある。これは夜半には崩れそうだ――なっ?!」
あがる。高度が。ぐんぐんあがる。
というかこれは――
「ナビ。このままだと雨雲に突っ込むぞ」
「はい。ですのでキャノピーを閉めておいていただきました」
「レールショップに戻るのだぞ? こんなに高度をあげる必要はないだろう」
「はい。レールショップに戻るためには、ここまでの高度は必要ありません」
「ではなぜ」
「双鉄様への感謝と親愛を示すためには、この高度と航路と、いくばくかの幸運が必要なのです」
「幸運?」
これこそナビに似合わぬ言葉だ。
一瞬脳がざわめくほどの混乱を覚えかけてしまうが――
「……ならば、僕も祈ろう。ナビに幸運が訪れるよう」
「ありがとうございます。双鉄様」
いつもとまったく変わらぬ声音。
ある意味祖先であるはずのハチロクれいなと比べれば、まったく感情を感じぬ電子合成音。
ではあるのだが、なぜだか今は――
「む」
「雨雲の中に入ります」
「う……うむ――」
無論、エアクラ機内にあれば、雨の被害は免れる。
が、そうはいってもナビは雨中を好まない。
あるいはそれは、はるか昔のあの雨の事故――
僕の古傷を慮ってのことであろうかとも思っていたが……
「うおっ!!?」
視界が一瞬白熱する。
ひやりと冷えた体温が、すぐにふつふつ湧き上がる。
見慣れぬ景色に興奮している。
雨雲の中とは――こういうものか。
「見たか、ナビ。いま稲光が真横に、水平に走っていったぞ」
「双鉄さまが稲光をご覧になられたことを確認できました。これより、最適航路に復帰します」
「んん???」
ぐんぐん高度が落ちていく。
雲を抜ける。
わけがわからん。
最適航路に復帰する……ということであれば、今の雨雲への突入は――
「なぁナビ」
「ポーレット様が、きっとご解説くださるかと」
「う? うむ」
僕の質問を遮って――というかおそらく先回りして、ナビが答えを返してくれる。
ならば……うむ。
素直にそれに従おう。
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「……と、いうことがあったのだが」
「あーーーーーー」
大きく、深く、ポーレットが頷く。
2度、3度。桜色の唇がもごもごうごき――やがて、どこか慎重そうなトーンの言葉が流れ出す。
「稲光って、フランク語でなんていうか、知ってます?」
「フランク語で? …………いや、残念だがまったくわからぬ」
「éclair」
きっぱりと。まるで教師のような口調。
意識もせぬうち、オウム返しが口をつく。
「えくれーる」
「はい。稲光はフランク語でéclairです。
日ノ本語でも、とっても近い発音のお菓子ありますよね?」
「えくれー……ああ、エクレアか?」
「です」
ふっと、一瞬笑った瞳が、すぐに真剣なものとなる。
「éclairがあのお菓子の名前になった由来については諸説あるんですけど……
éclairそのものに共通した特徴には、ほぼ絶対的なものがありますよね?」
「エクレアそのものに共通した特徴……」
ポーレットが僕をじっと見ている。
答えに自力でたどり着くよう、促している。
「……細長く。中にクリームが入っていて。チョコレートでコーティン」
「はい。で、今日はいったい何の日ですか?」
「無論、今日はバレンタイン――――あ!!!!」
“感謝と親愛を示すため”……確かにナビは言っていた。
「そうか――ナビは……」
ナビにあるのはあまりに不器用な、空を飛ぶための身体だけ。
チョコレートを作るどころか、買うことさえも叶わない。
であるというのに、おそらくは――
関連情報を検索し、実現可能性を検討し――
「ナビは、僕にバレンタインのチョコを送ってくれたのか!」
;おしまい