おかず味噌 2020/03/29 01:34

ちょっとイケないこと… 第七話「姉弟と秘密」

(第六話はこちらから↓)
https://ci-en.dlsite.com/creator/5196/article/223259


 行為の後、彼の家でシャワーを借りて、私は深夜に帰宅した。

「泊まっちゃえば?」

 彼はそう言ってくれたものの。外泊の準備はしていなかったし、朝帰りともなればさすがに親も心配するだろうから、遠慮させてもらうことにした。それに…。

 あれだけの醜態を晒しておきながら、平然と彼の隣で眠れるほど、私のメンタルは強靭ではなかった。

 体だけはキレイにしたものの、ベッドの上は『おしっこ』で大惨事となっていた。立派な世界地図が描かれ、私の『尿』はマットレスを浸食し、床にも零れていた。

 私がシャワーを浴びている間に彼が後始末をしてくれたみたいだが、もはや今宵の彼の寝床は完全に失われていた。それをそのままにして帰るのは気が引けたけれど、彼は大丈夫だと言ってくれたし、やはり元はと言えば彼のせいでもあるのだ。

 犯した過ちの責任を彼に押し付けるが如く、私は逃げるように彼の家を後にした。彼は玄関まで私を見送りつつ、ドアが開く直前、私の腕を掴んで強引にキスをした。それが何度目のキスであるのか、私はもうカウントしていなかった。


 濡れたショーツは帰りの道中でコンビニのごみ箱に捨てた。袋の口を固く縛って、罪の物的証拠を隠滅した。「家庭ごみ持ち込み禁止」と注意書きが貼られていたが、今回だけは不可抗力ということで許してもらいたい。

 深夜にそれを洗う情けなさに比べれば、ブラとのセットが一つ失われることくらい惜しくはない。思えば彼の家から帰るとき、私はいつも「ノーパン」なのだった。

 ショーパンは一度洗ってドライヤーで急速乾燥させたが、やっぱり生乾きだった。夜道だったから良かったものの、昼間ならば通行人に気付かれていたことだろう。

「見て!あのお姉ちゃん、濡れたおズボン履いてるよ!」
「コラ!見ちゃいけません…!!」

 そんな風に、子供に指をさされて笑われたかもしれない。

――そうよ。お姉ちゃんは、大学生にもなって『おもらし』しちゃったの。
――僕だって、もうしないよね?そんな恥ずかしいこと。
――でも、やっちゃったの。案外気持ちいいもんだよ『おもらし』って…。

 自宅に辿り着き、静寂に満たされた廊下を歩きながら、私は色んなことを考えた。だがある地点に差し掛かったところで、ふいに私の思考を乱す雑音が聞こえてきた。


 それは、弟の部屋からだった。ドアの隙間から微かに明かりが漏れている。

――まだ、起きてたんだ…。

 私はカバンからスマホを取り出して時刻を確認した。午前零時過ぎ。中学生ならば夜更かしをしていたとしても不思議ではない。

 私と弟は歳が離れていた。別に、実は血が繋がってないとかではない。ただ単純に同じ両親から生まれたものの、インターバルが比較的長かったというだけのことだ。

 なぜ両親がそのタイミングで子作りをしたのかについてはあまり考えたくない。(両親のそういった行為について、誰だって想像したくはないだろう)

 とにかく。歳の離れた弟は私にとって可愛いものであり、庇護の対象なのだった。

 私は今無性に彼と話がしたかった。だけど、もうこんな時間だし。そうでなくとも私が遅くなった理由を鑑みるに、そのまま廊下を素通りするべきだった。

 それでも。何を思ったか、私は無意識的にも反射的に弟の部屋をノックしていた。自分が今現在「ノーパン」であることも忘れて…。


 弟の「ビクッ!」とした息遣いがドア越しに伝わってくる。まさかこんな時間に、訪問者が現れるとは思っていなかったのだろう。私が帰ってないことは知りつつも、不良の姉ならば朝帰りでもするだろうと半ば呆れられていたのかもしれない。

「入っていい?」

 私は訊く。その問い掛けと同時に、すでにドアノブに手を掛けていた。

「うわっ!!急に、開けないでよ!」

 愛しい弟は、ひどく狼狽した様子で私を迎え入れる。歓迎はされていないらしい。彼の動揺の原因を探るように室内を見回す。枕の下に不自然な「膨らみ」があった。だけど、私はそれをあえて指摘しなかった。

「ごめんね。お姉ちゃん、今帰ってきたの」

 私は笑顔で言う。もちろん、どこから帰ってきたのかは言わない。

「へぇ~、おかえり…」

 弟は言う。「だから何だよ!」なんて言わない。礼儀正しく真面目な子なのだ。

「何やってたの?」

 確信犯的に私は訊く。核心を突く問い。意地悪な質問だったかもしれない。

「別に…。ただぼうっとしていただけ!」

 案の定、彼は曖昧な返答をする。いくらでもツッコまれそうな弱味を晒して…。


――じゃあ、何で電気を点けてたの?その枕の下のモノは何?

 なんて無粋な邪推はしない。彼もまた一歩、大人への階段を踏み出しているのだ。

 つい最近まで「お姉ちゃん!お姉ちゃん!」と私の後ろを付いて回っていたのに。私は弟の成長が嬉しいような、少し淋しいような複雑な気持ちだった。

――邪魔しちゃいけない。

 弟の知的好奇心を育むため、私にできることはこの場を立ち去ることだけだった。いつもは来室を割と歓迎してくれる彼も。今ばかりはベッドの上から動こうとせず、睨むような顔で私を見ている。

 今まさに。彼の興味は目の前の姉ではなく、枕の下の「恋人」にあるのだった。

――どんな子がタイプなの?お姉ちゃんに見せてごらん。

 デリカシーもなく、そんな風に訊いてみたかった。弟は「えっ?何のこと…?」と惚けるに決まっている。だけど、お姉ちゃんには全てお見通しなのだ。

――どんなプレイに興奮するの?

 まだ中学生の彼に、そんな概念はないのかもしれない。女性の裸が写っていれば、それだけで満足なのだろう。

 でも、最近の中学生はませてると聞いたことがあるし。あるいはそれなりの性癖を持ち合わせているのかもしれない。彼は一体、どんな「エロ本」を読むのだろう?


――「レ○プもの」とかだったら、嫌だな…。

 もちろん、そうした嗜好の人を否定する気はない。実際にやるのは言語道断だが、創作物として楽しむのは個人の自由だ。それでも弟には女性を傷つけるような思考を持っていて欲しくなかった。あくまで私にとっては心優しく素直な子なのだ。

――もしかして、『おしっこモノ』だったりして…?

 わずかな可能性について思い浮かべる。だけどすぐに、それはないなと否定する。そもそもそんな性癖が存在すること自体、私自身ついこの前まで知らなかったのだ。生物として当たり前の『排泄行為』に対して興奮するなんて。理解し難いどころか、そうした感情が芽生えることすら考えてもみなかった。だけど…。

 あの日、彼の家で犯した失態がきっかけとなり――。

 私の中で、微かな興味と興奮が発芽した。最初はとにかく絶望でしかなかった。「過去に戻ることができたら」と、あの時ほどタイムマシンを渇望したことはない。だけど「ノーパン」で家に帰る道中、汚れたショーツを洗っている最中、幾度となく決壊の光景がフラッシュバックした。


 我慢が限界を迎える瞬間。股間が弛緩してゆく実感。ショーツの中に温感が溢れ、やがて悪寒と共に冠水したそれを他人に、あろうことか異性に視姦される高揚感。

 それは、今までの私の人生にはなかった種類の感慨だった。やや戸惑いもあった。自分が果たして、何に興奮しているのか分からなかった。『放尿』に対してなのか、あるいはそこに付随する何らかの要素に昂りを覚えているのかも不明だった。そして「二度目」の今夜、それは自明なものとなった。

 私は『おもらし』することに興奮するのだ。

『排尿行為』自体にではない。トイレでするだけでは少しも興奮したりなどしない。それは、そこが出していい場所だからだ。催した『尿意』を正しい手順で解放する。ごく当たり前の手続きであり、それ自体はあくまで日常的な行為に他ならない。

 そうじゃない、私が求めているのは非日常なのだ。イケないのに、ヤってしまう。欲望を押し留めつつも、勢いに流される。己を律し、理性で抑えていた本能の解放。それこそが私の越えられなかった壁であり、私に嵌められた枷なのかもしれない。


――そうだ、私はまだ「処女」なんだ…。

 今夜もまた、それを捨てることが叶わなかった。同年代が次々と卒業していく中、己だけが同じ場所に留まっているという劣等感。周回遅れの醜態に身を焦がしつつ、今宵も一人で就寝するのだろうか。それはとても耐え難いことのように思えた。

――こんなことなら、○○さんの家に泊まれば良かった…。

 一夜を共にしたならば、ふと彼もその気になってリベンジだってあり得ただろう。今度は後ろではなく前で。非正規の穴ではなく性器で。アナルではなくヴァギナで。女性としての正しい喜びを知る機会に巡り合えたかもしれない。

 だが、私は一時の感情により情事を遠ざけてしまった。そんな自分のマトモさが、不真面目になりきれない真面目さが疎ましかった。


「なんか用…?」

 弟の声でふと我に返る。私はいつの間にか内界の深海へと沈みこんでいたらしい。彼が怪訝そうな表情で、というより「早く出て行け」という顔でこちらを見ている。そうだ、ここは弟の部屋だった。自戒し、後悔に溺れるのなら己の領海ですべきだ。

 でも私は今一人になりたくなかった。それが弟だろうと誰かと一緒に居たかった。

「ちょっといいかな?」

 私は訊ねる。肉親である彼に向かって、他人に接するように遠慮がちに言う。

「えっ…?どうしたの?お姉ちゃん」

 私の改まった問い掛けに対し、彼はやや戸惑いながらも優しく訊き返してくれる。「お姉ちゃん」と、こんな私をそう呼んでくれる。それだけで私は泣きそうになる。自分を手放しに受け入れてくれる存在。それが家族であり姉弟という関係性なのだ。

「大丈夫だよ。ちょっと話さない?」

 何が大丈夫なのかは解らない。事情を抱えた心情や内情に渦巻く感情について彼に打ち明けることはできないし、そんなことを弟相手に語るつもりもなかった。ただ、どんなことでもいいから話したかった。普段のように他愛のない会話がしたかった。


 弟の名前は「純一」という。純粋な彼にふさわしい名だ。私や両親は、彼のことを「純君」と呼んでいる。

 純君はベッドから起き上がり、招かれざる客である私を室内に招き入れてくれる。「どうぞ」と言ってくれたわけでも、自ら率先して私を誘ってくれたわけでもない。私が勝手に了承を感じ取り、あるいはそう思い込んだだけなのかもしれない。

 部屋に入って、ドアを閉める。何気ないその仕草に少しだけ心がざわついたのは、デジャヴを感じたからだ。だがそれは錯覚でも何でもなく、私が数時間前に彼の家で同じ動作をしたからだった。

――男性の部屋で二人きり。

 そんな状況説明が脳内でナレーションされる。だけど男性の部屋といってもここは弟の部屋であり、私の実家の一部に過ぎない。普段なら特段に意識することもない。彼が中学に上がってからは無断で立ち入らないようにしているものの。小学生の頃は漫画の貸し借りや、ちょっとした用事を頼むためなんかで頻繁に訪れていた場所だ。そこに感傷の余地などあるはずもない。だけど…。

 純君の部屋は、かつての印象とは少し違っていた。父親の仕事関係の知り合いから貰った小型テレビが置いてあり、本棚には少年漫画の単行本がずらりと並んでいる。その他には彼が今座っているベッドと、ほとんど物置状態の学習机。私のお下がりの白いテーブルには食べ掛けのお菓子の残骸が散らかされていて、いつもの私ならば「片づけなさい!」と注意していたところだろう。


 見慣れたはずの弟の部屋。見知った景色が、何だか少しばかり違って感じられる。その理由が分からぬまま、胸騒ぎにも似た胸の高鳴りを覚えつつも私はカーペットに腰を下ろした。

「あんまり、じろじろ見ないでよ…」

 純君は照れくさそうに言う。私は無意識の内に、弟の部屋を観察していたらしい。彼が嫌がるのも無理はない。私だって、家族であろうと自分のプライベートな空間をまじまじと検分されたくはない。

「ごめんね。なんか純君の部屋変わった?」

 私は訊ねてみた。己の抱いている違和感の正体を、彼に求めるように。

「別に?何も変わってないと思うけど…」

 純君は不思議そうに答える。実際に変わっていないのだから当然だろう。あくまでそう感じる原因は私の内側にあって、外側にその理由を求めるのは間違っている。

「そっか」

 そっけなく答えつつも、私はまだ弟の部屋を眺めていた。


「話って何?」

 純君がそう訊いてくる。「話がある」などと言ったつもりは特にないのだけれど。「ちょっと話さない?」なんて姉の私に改まって言われれば、何か重要な話があると思われても仕方ないだろう。

「別に。たまには、ゆっくり純君と話したいなって」

 つい、彼の口癖がうつってしまう。だがそんなこと気にならないほど、私の口調はどこか他人のような響きを醸していた。

「あっ!『ドラゴン・ピース』新刊出たんだ!」

 何気なく本棚を見ていた私はようやく、微かな違和感の正体に思い当たる。だけどその変化がまさか、部屋全体の雰囲気に波及していたとは考えづらい。それでも私は大袈裟に発見を口に出す。あたかも意図的に話題を作るように…。

「この前、買ったばっか」

 彼はぶっきらぼうに答えつつも、その表情はなぜか得意げだった。二人が楽しみにしている漫画の続きを、自分だけが知っているという優越感らしい。

「どうして、お姉ちゃんに教えてくれなかったの!?」

 責めるような口調で私は言う。でも本当は新刊が発売されることはネットで知っていたし、コンビニのレジ前に置いてあるのを見ても「純君が買ってくれるだろう」とあえて買わずにおいたのだ。

「今度、貸してあげようと思ってたの!」

 彼は釈明する。私から視線を逸らし、気まずそうに目を伏せる。

――本当に~?自分だけ読んでネタバレしようと思ってたんじゃないの~?

 そんな風に、私が冗談半分でからかおうとしていると…。


「でもお姉ちゃん、最近帰りが遅いから…」

 純君は言った。それは私の全く予想していなかった種類の言葉だった。彼の表情はなんだか申し訳なさそうに見えた。いや違う。罪悪感に苛まれるべきは私であって、断じて純君ではない。

 カーペットをじっと見つめる純君の瞳はどこか切なそうで、私は胸の奥をキュッと締め付けられるような痛みを感じた。

――私の帰りが遅いせいで、純君を淋しがらせてしまってる…!

 思えば、弟の部屋を訪ねたのはいつぶりだろう?純君がこの部屋を与えられてから何度も遊びに来ていたから考えたこともなかったが。ここ最近漫画を貸してもらいに来ることもなければ、ちょっとした用事をわざわざ彼に頼むこともなかった。

 そして、私がバイトを始めてからというもの。夕食を一人で済ませることも増え、それによって家族との団欒の時間は確実に削られていて、さらには純君と話す機会もめっきり減っていた。

 しかもバイトだけならまだしも、私の帰りが遅い理由はそれだけじゃない。今日とこの前の二日、私がしていたことといえば…。


 とても純君に聞かせられるような内容のものではない。私はいつの間にか、弟にも打ち明けられない秘密をいくつも抱え込んでいた。もちろん、仲の良い姉弟だろうと何でも話せるわけではないし、言えないことの一つや二つくらい持っているものだ。だからといってそんな建前を盾にして、立て続けに秘密を積み重ねていっていいものだろうか。

「別に、お姉ちゃんが忙しいのは分かってるし。別に、良いんだけどさ…」

 純君は「気にしてないよ!」というように、口癖を何度も繰り返す。精一杯強がっているようにも見えた。あるいはそれも、単に姉としての願望だったのかもしれない。けれど今にも泣き出しそうな純君を見ていると、私は今すぐに抱き締めたくなった。姉として、それを越えて母のような慈愛をもって、家族としての関係性を抜きにして、一人の女性として。

 私は、カーペットに座ったまま体を移動させる。ベッドに腰かける純君に近づき、その手を優しく包みこんだ。

「ごめんね、純君」

 私は謝る。姉としての責務を果たせていなかったことを。純君を置き去りにして、自分ばかり早く大人になろうと突っ走っていたことを。

「また、前みたいに遊んでくれる?」

 上目遣いでそう訊いてくる彼を、私は本当に抱き締めそうになった。けれどいくら姉弟であろうと、いや姉弟であるからこそそういうわけにもいかず。私は純君の手をより強く握った。

「もちろん。また一緒にいっぱい遊ぼう」

 私は言う。姉としての優しい笑みは自然に溢れてきた。これからはもっと家族を、弟を大事にしよう。そう心に固く誓った。女性として成熟することも大事だけれど、それ以前に姉として成長することのほうがより大切なのだ。だって家族はいつだって無条件で私を認め、好いてくれるかけがえのない存在なのだから。


 私は湿った雰囲気を一掃し転換するための話題を探した。そして、そのきっかけをやはり本棚に求めた。けれどそれはあまりにもあからさまな気がしたし、その話題は友人とだっていくらでも置換可能なものに過ぎない。それよりもっと姉弟だからこそできる親密な会話を私は探した。そして、それは秘密の共有にこそあると思った。

――ここで一つ、純君の「隠し事」を暴いてやろう。

 彼は嫌がるかもしれない。それにより姉に軽蔑されることを恐れるかもしれない。だが私は彼の秘密を受け入れる覚悟があった。いまだに処女のままではあるけれど、一歩前進した(はずの)私には思春期ならではの悩みを受け止める準備があった。

 私は純君の手を離した。そのまま前のめりになって、ベッドの方に手を伸ばした。突然の私の行動に、彼の反応が遅れる。それも想定内だ。

――どんな「エロ本」を隠しているの?お姉ちゃんに見せてみなさい!

 枕の下に手を差し込む。予想した通りそこには何かがあった。けれどその感触は、私の想定とは大きく違ったものだった。


――柔らかい…?

 指先に触れたものは、写真集のような固さもなければDVDのようなツルツルとした手触りもなかった。ベッドと同じような、シーツがもう一枚あるような感触だった。

 怪訝に思いながらも、もう後には引けない。嫌な予感を覚えつつも勢いに任せて、私は弟の秘密を暴き出した。

 それは、布の塊だった。

 いや、塊というほど大きくはない。むしろ極小のその物体に私は見覚えがあった。と、同時に混乱する。それは決して純君の部屋にあるべきものではなかった。

 それは、下着だった。

 黒い下着だった。見たところさしたる装飾のない、前面上部にとって付けたような小さなリボンがあしらってあるだけの簡素なショーツだった。

 純君のパンツでないことは一目でわかる。それは明らかに女性ものの下着だった。

――どうして、こんなものが…?

 私は全身が強ばるのを感じた。考古学者が人類史を真っ向から否定する古代遺跡を発掘した時のように、私の体は緊張とある種の畏れによって震えていた。


 頭の中に、次々と新聞の一面が浮かぶ。

「最年少、下着泥棒!!」
「男子中学生、夜の学校に侵入し同級生の下着を拝借か!?」
「犯行の動機『女子の穿いている下着に興味があった』」

 まだ子供と思っていた弟の知られざる一面に、姉である私はこれ以上ないくらいに動揺していた。

「思春期の抱える闇!!」
「姉の素行不良が原因か!?」
「姉は外で、変態プレイ三昧!!」

 そんな週刊誌の記事さえも脳内に流れる。

「思春期の子供を持つ親の責任は――」
「両親のみならず、やはり兄や姉の責任も――」
「いや、今回の事件は姉に問題があるでしょう!」

 ワイドショーのコメンテーターの発言すらも聞こえてくる。

――純君は何も悪くないです!!姉の私が全ての原因です!!
――ごめんね、純君。私が構ってあげられなかったばっかりに…。
――大丈夫。お姉ちゃんも一緒に罪を償ってあげるから。

 自分自身の弁明もまた浮かんでくる。

 私は一瞬、このまま純君と一緒に警察に自首するところまでをシミュレートした。だがそんな想像の飛躍において、私は意識の中にある引っ掛かりを感じた。それは、そのショーツに強烈な既視感を覚えたからだ。

 ただ、私が普段穿いているものと同種のものであるという事実のみではない。その黒いショーツは、私のよく知っているものと酷似していた。買う時以外は普段あまりまじまじと見ない下着だが。そのものばかりはある事情によって、どうしても詳細に観察せざるを得なかった。


 それは、私の『おもらしショーツ』だった。

 もちろん現在のそれは、そうした汚名からは解放されている。きちんと手洗いし、その上で洗濯機に放り込んだのだから。

 それでも私が「おもらしをした」という過去の事実までを洗い流せるはずもなく、私の脳裏にはあの日の惨めな己の姿が現実のものとしてはっきりと焼きついている。ゆえに私はそのショーツに強烈な既視感を覚え、それがあろうことか弟の枕の下から発掘されたことに混乱したのだった。

 私は恐る恐る口を開く。それを言うことで姉弟関係が完全に失われてしまうことを危惧しながらも、それでも私ははっきりと彼を問い質す。

「これ、もしかしてお姉ちゃんの…?」

 純君の表情が驚きから絶望へと変わる、その変化がありありと感じられる。まるでアニメーションのコマ送り、スローモーションで再生されるように。

 純君の顔が瞬く間に曇り、やがて両手で顔面を覆って泣き出してしまう。

「ごめんなさい、ごめんなさい…」

 何度も繰り返し詫びる純君。再び私の脳内に先ほどの事件の想像が浮かんでくる。罪が発覚した際、逮捕され世間に対し謝罪する時も、彼はこんな感じなのだろうか?

 胸を潰されそうな罪悪感と庇護欲に苛まれつつ、私は彼の弁解を待った。


――続く――

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

月別アーカイブ

記事を検索